コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2021年02月10日

そもそもは

昨夜のカーリングはスリリングでしたなあ。
ああいう試合は、第三者的気楽があるとはいえ、純粋に面白く見れるわけで。こういうのが本来のスポーツ観戦の楽しみ方なのかな、と考えていたりもしたものではある。


さて東京五輪をめぐる昨今の状況については、もう正直うんざりしている。
どうでもいいという放棄的なことではなく、ひたすらに「恥ずかしい」レベルにまでなっていることに気が付いていない高齢者の存在にではあるのだな。

ただこれから書こうとしているのはそのことでではなく、そもそも「五輪は最高レベルと言えるのかどうか」についての考察ではある。


サッカーについていえば、承知の通り出場選手が23歳以下という限定(オーバーエイジありでも)がある時点で、すでに「最高レベル」ではない。

当然W杯の方が上であるし、開催期間についても1か月を要して、五輪競技にのようにバタバタはしない。

ラグビーW杯ともなれば、1か月半近くかかり、もはや五輪開催期間におさまらないから、そもそも対象にもならないし。


各々の競技においても、全ての種目をやるわけではない点でも最高とは言えないわけで。

毎度制限を加えた中での争いであれば、そこまで神聖化する必要もないのだろう。

今は世界選手権やW杯が毎年のように頻繁にあるのだから、そちらで充分であろう。

転戦するようなケースでは、一発勝負でないだけでも総合力としての評価ができるから、そちらの方がずっと意味があると考えますがね。


まあ「4年に1度」「メダリストという響き」においては、五輪は価値があるのでしょうがね、それを除けばさほど意味をなさない。

メダルの話をすれば、その個数争いというのも無意味なのにしたがるのはなぜかと。
団体競技では最終的に1個しかないけれども、個人競技では一人で複数個獲得が可能なわけで、それを同一レベルで見てしまうことに抵抗があるのでね、こういうのも止めてほしいけれども、この国ではやってしまうんだよな。
前回大会と比較することも、そもそも毎度競技種目数が変更になる時点で意味をなさないことを無視しているし。

リーグ形式よりは、トーナメント方式の方がこの国においては感性に合うのだろうが、そんなのは組み合わせ次第での運不運が出てしまうから、それだけではあまりよろしくないと見るんですがね。


さて例の問題が最終的にどうなるのかは、今どうこう言えるものではないけれども、少なくともそこにあるのは、スポーツとはかけ離れた意地でしかないという点では、ひたすらに残念でしかないのではある。

posted by akira37 |04:41 | 雑記 | コメント(0) | トラックバック(0)