コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2020年05月12日

意識の貧困

昨日から札響がクラウドファンディングを始めた。
個人的にはやれる範囲でかかわる予定ではあるものの、一方でふと考えてしまう。
ここまで窮状が酷いのかと。


私にしてみれば、サッカーもクラシック音楽も余暇というか趣味で参戦する範疇ではあるのだが、彼らにしてみれば「仕事」ですからね。

一方的な「自粛の要請」を何の補償もない中で長期間続けるしんどさというのは、想像をはるかに超えるものだろうと。

けれども理解はされにくいんだろうなとも考えるわけで。


よく聞かれる答弁に「スピード感」というのがあるが、これくらいまやかしもないだろうと。

いやそんなこと言っている間にさっさとやれよ、というわけで。いちいち口に出すということは、それがされていないからだろうと。

まあこれに限らないが、言葉遊びにすぎない事象は数知れず。

何度も言うけれども、大事なのは「金」ですから。


何を信じりゃいいのさ、というのも続くし。

間違いを頑なに認めないし、謝罪もしないし、というのを見続けていればさ、そうもなるさ。

最後に責任転嫁されるの嫌なのでね、一方的な要請があっても自己管理は怠らないようにしておかないと。


時間をかけてよいことではないのですがね。

タイトルにした言葉は、根底にそれがあるからではないのかという思いからではあります。

posted by akira37 |04:41 | その他 | コメント(1) | トラックバック(0)