コンサドーレ札幌サポーターズブログ

スポンサーリンク

2020年02月11日

どの観点で見るかということ

昨日はアカデミー賞の発表というのがあって。
まあいろんなことを考えてはみるのである。

個人的には映画は滅多に見ないほうではないので、内容についてどうこう言える立場にはないのだが、この結果にまあ示唆的というか現代的というか、いろいろ考えさせてくれることになったのだな。

承知の通り、作品賞・監督賞等主要部門を撮った作品が、外国語作品ということであって。
このことの衝撃は、私の稚拙な表現でどうこう言えるレベルではない。
まあね「日本すごい」の人たちにとっては、屈辱的な反応が多かった模様だろうが、そんなことではねえ。
実際そうなるべくしてなっただけの結果であることは確かだろう。

もう一つでは邦人関係での受賞があったわけだが、彼のコメントも随分皮肉である。
結局この国においては、極めることについての場がないんだろうなと。


出すものも出さないで、成果が出ればまるで自分の手柄のような姿勢になるのはいかがかと。

最近ではノーベル賞受賞者でもある山中教授のあの一件なんていうのも記憶に新しいところではありますがね。
全くこの国の姿勢たるや貧困すぎるに尽きるのだと。


アカデミー賞にせよノーベル賞にせよ、日本人受賞がどうかにしか関心がないのもいかがなもので。

昨年のノーベル賞発表週間なんて、報道が酷すぎた。「今日は日本人受賞なるか」が連日喧伝されて。ああみっともない。


昨今では五輪に関する部分でも感じることはあって。

そう「メダル獲得何個」ってやつ。

もともとクーベルタン男爵は五輪は国同士の争いではないと言っていたということもあるのだが、それにして私自身にしても意味不明で。

だいたい毎大会にやる競技数も種目も違う中で比較することすら無意味なわけだし。
特段多かったから凄いということでもないし。

いや比較するにしたって、団体競技で何試合もやってようやく1個というのと、個人で何種目も出られて複数個獲得可能なものとを一緒にしていいのか、というのもあるしね。

何かそんなのが「目標」として出てくることに貧しさを感じてしまうのは、おかしなことでしょうかね?


まあ最後はまた脱線してしまったけれども、国会で繰り返されている喜劇のような恥ずかしさを見るにつけ、また溜息で終わるよりないのである。

posted by akira37 |05:12 | その他 | コメント(1) | トラックバック(0)