2018年06月23日
滅多にない経験を経て
昨夜はkitaraに出向いて札響の定期を聴きに行っていた。 タイトルにある「滅多にない」というのは、2週連続して同じ指揮者の下での違う演奏会を、ということではある。
両演奏会の指揮者は日本国内においては重鎮の一人である飯守泰次郎氏であるが、楽団と会場と違うとこうも違うのかを感じる機会にもなったのだな。 まあ申し訳ないが、改めてkitaraの良さを認識したことだけは間違いない。仙台フィルの定期会場に比べれば、専用ホールの優位性は疑いようがないわけで。 最もあちらのホールは観客席数で言えば約800しかなく、どうにも狭い印象はある。 力量そのものは比較することでもないのだろうが、音の響きという面ではどうしても専用ホールに比べて劣る。 先日の場合、座席が舞台前から4番目右手から3番目というかなり端の方ではあったからこと音のバランスがよろしくなかった。音量は十分すぎるのがホールの狭さではもったいないことでもあって。 レベルを考えれば、もっと大きい専用ホールが望ましいし、その機運が高まってほしい印象があるのだな。
kitaraにおける私の定期の席は、ホールの一番後ろで、それだけを見ればあまり良い席ではないように感じられるかもしれないが、ホールの特性から見れば無問題なのである。 特に最弱音でもハッキリ聴き分けられるのは重要で、かつてのマーラーの交響曲第9番の最後などは感動ものでもあったのだけれども、今回のチャイコフスキーの「悲愴」でもやはりそうだったのだな。
同じ指揮者で違うホールでの演奏会を続けて聴くという珍しい機会になったのではあるが、感想は予想通りではあったという話。
posted by akira37 |05:32 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)