コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2016年07月13日

言葉を大事にしたい

今朝も無駄に早く始まっている。
最初起きたのが12時過ぎ。さすがに呆れ果てて寝なおしたけれども、次が2時半前。
どうしよう。面倒だ。で今に至る。

困ったことに起きたそばから疲れ果てている。すでに起床後2時間を経過していて、何だかなあと。

勢いで一仕事してしまったのであるが、まあこの反動はどうなることかと。


承知ではあろうが、個人的にはツイッターをやっていて、結構な時間を割いて見てもいるのだが、まあいろいろ溢れている。

嫌なものはフォローを外せばいいのだろうが、あえてそうせずに反面教師にしてそのままにもしているのであるが、酷いものは酷い。

一方で時に珠玉とも言えるものに出会えることもあるのだな。

最近では小池一夫氏のもので拾いものがあったから、保存したのをそのまま載せてみる。

他人を見下したり攻撃的なツイートする人ってどういう人なンだろうと思って覗いてみると、共通点がある。「自分の世界が狭い」。自分の狭い世界での意見なので、自分と同じ意見でなくては気に入らない→意見の違う人は攻撃対象だとみなす→礼節を持たない→人に相手にされずより世界が狭くなるの悪循環

そうだよなあ、と。
日ごろ感じている部分で我が意を得たりというのは心強くもなる。

小池氏が素晴らしいと思えることには別の部分もある。
それ以前にとある発言をしたときに、誤りを指摘されたことがあって。
それを受けて素直に認めて訂正のツイートがあって。

いや一見単純なことだろうけれども、意外とこれができない大人が多いのよね。
多くは逆ギレ。逃げるか無理な反論を重ねるか。とにかく誤りを認めると人格を否定されると感じるのか、みっともないことにしかならなケースが大半である。

醜い大人とは見られたくないですよね。


参議院選挙が終わって、今の話題の中心が東京都知事選挙にあって。

何かいろいろな人が出ているのだが、直接関わらないにしても、ちょっと酷い感じには受けてしまうのではある。

少なくとも参議院選挙もそうだったのだが、人気投票ではないのだから、そこははき違えないでほしいとは願うのだが。

まあ過去のものとか、大阪府や市長のそれをみても、悲観的になるのは寂しいですがね。


身近でもそんなわけで。

言葉使いが少なくとも汚らしいと、それだけで人格を疑うことにもなる。
ただ大きな声だけでの主張では、説得力を持たないのに、概して高齢になると改めることは難しくなるのだな。

そこはいくら歳を重ねようとも謙虚にまだまだ学ぶものがある姿勢で向かうくらいがいいのだろうと考えるのだが、どうであろうか。

posted by akira37 |04:41 | その他 | コメント(1) | トラックバック(0)