コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2015年10月21日

望まれる大人の条件

どっかのタイミングで出そうとしていた暇ネタの一つではある。

いやまあ何故かといえば、以前千葉戦の会場変更の件でツイートにちょっかいをかけられて、かけなおしたら今頃になって礼儀知らずの反応があって。
どんな輩かと見ればブロックしているし、まったく失礼極まりない。

何てことがあったものだから、そうすることにした。


「今どきの若者は」という表現がある。

今の自分の年齢からすれば、言われるよりも言う方の立場なのだろうが、この表現は使うことをしない。
正直今どきの若者の方が、私が若いころよりもしっかりしている。
勿論すべてではないし、幼稚なバッカプルなどを見れば、せめて他人が見えないところでやれよ、ということは多々あるけれども、少なくとも一派ひとまとめに言うようなことはしない。

むしろダメなのはいい歳をした大人の方である。

時折触れているが、kitaraに出向くときは特にそれを感じる。
まず注意事項を守らない。携帯・スマホの電源を落とすこともしないし、平気で飲食もしやがる。
マナー違反でないにしても、仲の良いと思われるおばさんが2人いれば、演奏直前までおしゃべりが止まらないのにも困ったもので。
勿論演奏中にしゃべりだすのもいて、それが高齢者ともなれば、とてもでないが仲間としても見られたくないし。


別に難しいことを知っているだとか、儲けが上手い人が立派な大人だ、ということは勿論ない。

個人的に意識して見ている、気を付けるべき点で、大事なことだと思っている立派というか望まれる大人の条件がある。

極めてできそうでできないこと。
過去の言動に誤りがあった時に、それを素直に謝罪できるか。それをちゃんとやれている人は尊敬できるなと考えるのだな。

まあ著名人でも意外とできない人が多いので、この辺は結構注視する部分である。

特に恥ずかしいことではないのだと考えるのだがね。
実際は指摘されたときに、無視したり、逃げ回ることが大半であるから、できる人は貴重である。


偉そうにお前が言うのか、ということはあるであろう。

長く生きていけば、同じことへの反応が180度変わることもあるわけで、それが間違いだとか恥ずかしいこととかではないのだし。

ちゃんと理由が説明できれば、それでいいのではないのかと。


まあ現実はみっともないことが山積ではあるのだけれどもね。

別に尊敬されたいと思って生きているわけではないけれども、メリハリのある言動をしたいものだとは考えるのよ。


いかん、遠征後の疲れが取りきれてなくて、愚痴っぽくなっているのはまずい。

posted by akira37 |04:41 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)