コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2015年09月03日

成長を阻害するもの

色々なことが起こりますな。

昨日は久しぶりに本格的な雨となったら、警報まで出るレベルの酷さになってしまって。
実際都合上歩かざるを得ない状況で、わずか10分にも満たない時間で傘があってもずぶ濡れ。完全にやる気が失せてしまうようなことにもなってしまったのではありました。


今日の話題は、そんな中ちょっと時間が経過してしまったことを取り上げる次第で。

時は先月末日夜のことになります。

kitaraに出向いて、NHK交響楽団の札幌公演を聴きに行きまして。
いやN響だから、というよりは、そういや8月にkitaraに出向く予定がなかったから、計画外で決めたような次第で。

まあ今年4月に札響から移籍したコンサートマスターの凱旋があるかもという部分はあったのだが、こちらの方は叶わなかった。

演目はオールベートーヴェンで、エグモント序曲、ピアノ協奏曲第3番、交響曲第5番というラインナップ。
この中では演奏機会が少ないピアノ協奏曲が個人的には注目になったのであるが、ソリストがその挨拶のユニークさもあって、当日の個人的には肝になってはいたのだな。


当日の演奏会、公演前に完売ということで、久々に息苦しい想いでもあったのだが、私の隣席には高齢者夫婦が座っていて。

よくしゃべるものだから、嫌でも耳に入ってきたのだが、まず判ったのはどうやら札響の定期会員らしいこと。
で問題発言は全曲演奏が終わった直後に出てきたのではあったのだな。

「札響と違って弦が全然違うね」

まあ個人の感想だから、そのことについてどうこうなのではないが、比較することをこの場で言うものかと。
それを言って、何か得するのかと。

勿論こんなことは札響の団員を前に言うことはないのだろうが、この辺り、コンサへの批判めいた言動にも通じるところがあって、私自身は少々嫌な気分になっていたのだな。


アンコールにシベリウスの「アンダンテ・フェスティーボ」を持ってきたのだな。

個人的にはいい度胸をしているなくらいに感じていたのだが、そもそもこの曲は札響にとっては尾高名誉音楽監督がよく取り上げるくらいの、まあ十八番といってもいいものだから、私からしてみればいい比較の対象にはなってしまうのだな。

で実際演奏はきれいではあった。けれども感動するようなところにはいかなかった。
どっちが好きかといえば、間髪を入れずに札響の方、と言うだろうと。

勿論比較すべきことではないのだろうが、その前に前述の発言を耳にしたものだから、余計に力んだのかもしれない。

まあ音楽を聴くときの感じ方は、当人の精神状態・健康状態によっても左右されるから、演奏家の上手さだけがすべてではないとは想うところなのですよ。

どれだけ心に響くかを考えた場合、上手いだけでは届かないのだな、ということを感じた夜なのでもありました。


別段札響の肩を持つわけではないのですが、不用意と思われる発言を受けての感じ方ではありましたね。

posted by akira37 |04:41 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)