2015年07月08日
止める技術、止まる勇気
全く眼中になかったのであるが、昨夜あった等々力での試合はTV中継があったのだな。 まあ、と横目に見ていたのであるが、何とも言えぬくらいの一方的なゴールラッシュで。 この試合、昨日帰国したなでしこの面々は見ることがあったのだろうか。 もし見ていたら勇気づけられた?何てことになるのだろうかね?
2週続けて道外で下位カテゴリー(地域リーグ、JFL)の試合を見てきて、サッカーの技術の第一は、どうボールを蹴るか、以前にどうボールを止めるかにあるという感想を得たのだな。 良いボールを蹴る前には、流れからあるにせよ瞬間止めてからの蹴りだしもあるわけで、その前過程が未熟だとあらぬ方向に行くのだろうと。 別に下位カテゴリーだからと下に見ることではないのだが、トップとの差を言えば、止める部分の未熟さゆえに偶然性が大きくなってしまう部分があって、そうなれば勝負としては面白みに欠けてくるということではあるのだな。
無関係とも言えない国立競技場の問題については、もう何だかでしかない。 誰のためなのか、何のためなのか、まで突き詰めないと、言うレベルにあるわけで。 設計者決定に至った元締めの建築家が逃げ回るのはどうしたことか。やましいことがないのであれば、堂々と出てこれるわけで、どうしたって疑いの目が出てしまうだろうに。 出てくる数字がどれも杜撰で、まず大きな数字があって、そこに含まれる金額には利権が多分に含まれているのだろう。 他では、例えばガンバの新本拠地のスタジアムはそれの20分の1近い金額で立派なものができるではないか。 別の見方をすれば、首相が海外に行くたびに、ホイホイと援助する金額のごく一部をあてがえばいいくらいの建設費なのに、内訳を見ればあちこちを当てにしてみみっちいことにもなってしまっているし。 もう一度決めてしまえば(それとて中身のあいまいさをそのままにして)突っ走ってしまう。 ここには書きにくいあのことと大差ないレベル。 一度立ち止まって考え直すことすらできない姿は、まったく傍目にやりきれないことでしかない。
さて個人的な部分に目を向ければ、本日私は齢をまた重ねたのであるが、年々実年齢との差異を感じてならないわけで。 いやあ見かけはそりゃ白髪が目立つからあれだけれども、考え方は老け込んでいないつもり。 しかし体力を考えれば、相当に怪しくもあり。 現実には疲労が蓄積している状態から抜け出せていないが故に落ち着いて考えられない。 立ち止まる勇気が自分にも必要なところ、と本日の締めとする次第ではあります。
posted by akira37 |04:41 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)