2014年04月09日
以心伝心
感動の話を書くのではない。 むしろ逆。そんなに世の中甘くはないよ、ってことで。 単純な話、ちゃんとしてくださいよ、ではあるのだが。
判りにくいことを判りにくいままに話すのは、難しいことではない。 むしろ人を煙に撒くような表現で悦に入られるのは迷惑なだけで。 判りにくいことを判りやすく話せる人のほうが尊敬に値するのだが、存外そのようなケースは少ない。 まあまたね、ではあるのだが、そのようなことが散見されては疲れているのだ。
要求は難しいことではない。 判らなければ聞けばいいだろう、と。 勝手な解釈だけはされたくないし、身勝手な動きをされて判ったつもりになられても困るだけのことなのだが。 なかなか簡単なことがやりきれないのか。
このようなことを書く背景には、身近に似た事例があって、毎日のように疲れ果てているからなのではあるのだけれどもね。 もう少し納得させるような表現はできないのか。 思いだけでは伝わらないって。 自分で責任のある言葉を持って説明しないと。
最近の世間の話題に目を向ければ、例の細胞がらみの話がある。 何か私などは未だによく判らないままなのであるが、どうも主張が共に一方的な感覚だけはあるのだな。 それに門外漢が勝手なことも言っているから、余計に収拾がつかない。 個人的にはあまり深入りするようなテーマではないのだが、冷静に的確に説明できる人はどれだけいるのか。 少なくともマスコミには期待していませんが。
政治の世界については、今更言うほどでもないのだがね。 問題が発生するたびに、意味不明あるいは不可解な釈明がされる。 過去に批判した内容が、我が身に起きたときに、その過去がなかったかのような言動がされるのにも辟易するのだがね。 勝手な振る舞いをしておきながら、後からちゃんと説明して、などというやり口もあるようだが、それも何だか。 順番が逆の気がするのだけれどもね。 こちらの思いを説明せずに、一方的な思い込みだけで判ってくれだなんて虫が良すぎるでしょうにね。
ああ、やっぱり最後は嫌になっちゃったで終わってしまうのがたまらない。
posted by akira37 |04:41 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)