2014年01月20日
初Zeppで
はい行ってきましたCPP。 すでに多くの人が書いていて、新鮮味もないかもしれませんが、それなりに書いてみましょう。
まず出かける前から。 室蘭にしては珍しくまとまった積雪となって。公式発表では16センチとか。となればさすがに除雪しなければならず。 札幌ではやっていないから、あまり上手くも出来ないがそこそこにやって帰札となるのではあるのだな。 ここでまず体力を消耗していたわけだ。 入場券の番号は相当に後ろの方だから、あわてて行く必然性もないと、帰札後もゆっくり目、開場後に着けばいいくらいのレベルで行ったのではあるが、あまりにも列の歩みが遅く、開始前に入場できるのかと不安にはなる。 まあ結論からすれば、動き始めたら早かったのではあるが、この時点で来年以降使わないでほしいものだと切に願うことになってしまうのだな。 で初めて入ってみればあまりもの狭さに慄然とする。比較すればkitaraの小ホールよりも狭いところに1800人だから、通常のコンサートホールとの比較で言えば3倍は詰め込む印象ではあるのだな。 後ろの方にはモニターがあるから、まあそれを見れば何とかなる、ということではあったのだな。
立ち続けを考慮してか、通常はこの手のイベントだと時間オーバーになるものだが、むしろ早仕舞いした感じで。 1時間以上立ち続けるのは苦にしない性質ではあるが、今朝の作業の疲労もあってか、帰宅後は結構しんどい感じにはなっていたのだな。
で肝心の内容についてだが、個人的な肝だけを書いておくか。 入場前には宏太・曽田・芳賀の歴代18番が並んでお迎えしていたのだな。勿論例のマフラーをして。芳賀に拠れば、シーズンシート購入は「義務」である。 背番号の部分で言えば、菊岡が28を希望したので神田が22になったというのが自然なのだろう。これ以外の移動はなく。 石井が19というのは、ベトナムの英雄がいなくなったためだろうが、残留していたら17だったのかね? で36の時に、プロジェクト発表前だったから騒然となっていたのだな。 「松山光プロジェクト」はパーソナルスポンサーに代わるもので、ユース育成に特化したものとの解釈でいいのだろうが、まさか作者の了解・コメント・イラストまで取り付けていたことには驚いたもんだな。
帰りにはドーレくんが見送りを。本当によく働くもんだ。
posted by akira37 |04:41 | 雑記 | コメント(2) | トラックバック(0)