2013年08月06日
局地的からの
それはいつ何処で起きるか判らない。 最近の豪雨のニュースがあるたびに感じるのは、尋常でない様相で。 場所としても極めて限られた部分で、量的にも例えば1日で例年の1か月分相当とか。 このおかしさは、何かの警告と見るべきなのかもしれないのだが。
しかしそれが故に、関係ない地域からすれば、一過性で通り過ぎていくことでしかない、レベルのことになってしまう。 現地ではずっと深刻であるはずなのに、共有は出来ない。
横並びのニュースを見るにつけ、責任感のない気分を感じてしまう。 個人的な事件への執拗さを見るにつけ、自分に置き換えた場合の配慮のなさに愕然とする。 スキャンダル大好きでいいのか? 他人の不幸を喜んでいるかのような雰囲気は貧しい。
過激な発言をする人は、基本自分を安全な場所に身を置いている。 勇ましいことを言う割には、根拠もなく、まして自分に被害が及ぶようなところからは距離を置くし、更には平気で罵詈雑言をやらかしている。 現場で向き合った中で、物事を見ている身からすれば、何て空虚なことかは、見えてこないのだろうな。
このままではいけない。 小さなことに拘っているうちに勢力が弱ってしまうのであれば、もっと大きな枠組みで物事を見たほうが良いのだろうに。
雑然とした、自分の部屋の周囲を見るにつけ、何とかしないとと思いつつも、夜には疲弊しきっている状態で、何ともやり場がない。 結局長い休み明けからの月曜日は、鬱々とした気分が支配し、いつも以上の生産的になれないところから、嘆息するだけとは、自身も嘆かわしいと呪ってしまう朝なのよね。
posted by akira37 |04:41 | その他 | コメント(0) | トラックバック(1)