コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2012年11月13日

表面に出たことだけで判断される怖さ

私自身ニュースはよく見るけれども、まず音は消している。
そして鵜呑みしないように注意もしている。
最近は特にそうしないと誘導される危険性を感じるから、疑ってかかるくらいでちょうどいいのではないか、という姿勢ではあるのだな。

そうして見ている中で、最近多く出ているのが警察が情報を流してしまってストーカー行為から殺人に至り、容疑者も自殺した、という事件がある。
これって、こんなにたくさん詳細に流す必要性があるのかとすら感じる。
少なくとも被害者については、何度も名前が晒されてしまっているわけで、近親者にとっては憎悪の対象にしかならないのではないか。
また容疑者の手法が流されることによって、真似をする馬鹿が出るかもしれないという危険性もある。

マスゴミとってはセンセーショナルであれば、配慮などどうでもいいのかもしれないとすら感じてしまうのだな。


日曜日にJ2最終節があって、ニュース量も多かったからなのか、昨日の社内では珍しくコンサが話題にもなっていた。

まあ普段関心がない層からあれこれ言われると、まずもって反論する気すら起きなくなる、というのが率直なところである。

情報が少ない中で判断されてはかなわない。
こと公ファンから、もっと少年たちに指導するとかPRするとか触れ合う事をしたほうがいい、と言われたときには二の句がつけなかった。
確かにあちらは何かやるたびに報道される。
しかしこちらは地道にやっていることは、HPにも出てくるから、我々は認識している。しかし報道はされない。
いかんせんこの取り上げられ方の差別については、今更言ってみても仕方ないのだが。

見えている部分だけで断言されてしまうことの恐ろしさが、この場にはあるのだな。


政治の世界では年末にかけて大きな動きがありそうではある。

しかしどうも見えてくるものは、ずれたものばかりで。

そこには過去への反省のひとかけらもないことは、意識して見ていかないと、道を誤るのではないのか。

彼らは平気でミスリードもするのだから、表面的な部分で決め付けることだけはしてはいけないと、改めて考えることではある。

posted by akira37 |04:41 | 雑記 | コメント(2) | トラックバック(1)