コンサドーレ札幌サポーターズブログ

スポンサーリンク

2012年10月16日

重たい話

深刻な話と見せかけて、体重の話だろうと思われた方。半分は間違っていません。

元より何かにつけてエンジンのかかりの悪い自分ではありますが、この件については、割と時期的にも形式的になることなく一念発起して、鋭意推進中というところではあります。
まあまだ成果云々の段階ではありませんが、現状は一つの事実として受け止め、何とか形としてなるように、今は淡々と進めているところではあります。

現状言えるのは、やっているからこその資格が生じること。それは何も自身のことに限らないであろう、ということから、本筋へと移行するわけです。


今の旬は何でしょうか。

iPS細胞に絡んで、虚偽だとかどうとかの話がありますが、個人的にはそんなに騒ぐべきものなのかどうかの感想があります。
残念なのは、このことによって、本来名誉とされるべきノーベル賞の権威と言うか偉業と言うかが貶められることでしょう。

何か違う気がする。

渦中の人の資質云々については、この場で何かいうことでもないのだが、どうもマスゴミはいいネタが出たとばかりに、もて遊んでいるようにしか見えないのだな。
そして肝心のマスゴミもそのことを追求する資格があるのか否か。
過去に起こした数々の問題を、検証もせず棚上げにしておいて、大きな面をよくも出来たものだとは言えないのか。


私のTL上では、某人が血祭り状態になっている。真偽の程に口を挟める状況ではないのだが、よって叩いている人の姿勢を見るにつけて、残念な気分になる。

何度も書いていることであるが、現場を体験している人の言動は重たい。
何もせず安全な場所に身を置いている輩が、そのことに反論したところで、どれほどの価値が見出せるのか。

単なる影での数の暴力での公開処刑は見苦しい。
そして本筋と別なところで、自分はそれとは違うからと安心して、それをまた非難することによって楽をしているのを見ると、まったく、としかいいようがない。


社会の中にあっては、接する人の中に好き嫌いが出てしまうところはあるのだが、それを理由にして評価するのはどんなものか。

嫌いな奴の言動をすべて否定している姿を、結構な年齢の人がやっているのを見ると残念になる。
そして非難の対象にされている側は、そのことに反論する価値がないことを理解しているから、知っていても呆れ果てて何もしないから、一方的に罵詈像音だけが目についてしまうのだな。


結局のところ、見聞する色々な情報をただ鵜呑みにせずに、自分なりに咀嚼しないといけないという、ごく当たり前のことを言いたいのだが、どうにも巷に溢れているのがそれ以前のことばかりで、やっぱり辟易な部分が上回ってしまうのがきついのだな、というところなのではある。

posted by akira37 |04:41 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)