2011年04月14日
予見されていたこと~金がない事の悲哀
昨夜退社後、約5年以上ぶりに歯医者にかかった。 以前詰めた部分が取れて、早いうちに修繕した方がいいとわかっていたのにもかかわらず放置していた挙句に痛み出したところでようやくという実態ではあったのだな。 まったく、愚かなことではある。実際にかかってみれば、そんなに悩むまでのことではなかったはずなのに。
治療中に背後には民放のラジオが流れていたわけだ。 時節柄やっているのは公の試合。治療時間帯ではすでに1-7と大差でリードされていたところではあったのだな。 普段は勿論聴くこともないのであるのだが。まあ試合内容については、改めてどうこう言うつもりはない。 予見されていたのに、放置すると大変なことになってしまうという典型ではある。
日中札幌市内の国道36号線を車で走らせている。沿線には公の幟がたくさん並んでいるわけだな。 昨年も見かけていたのだが、今年は勿論昨年のとは違うし、ある意味グレードアップもしているのか。 そしてため息をつくのだな。やはり金があるからこそこれだけのことができるのだよな。 そういやプロ野球界において、こうしてシーズンが始まる前にもたくさんの練習試合をやっていたのだな。 そうするということは、移動費用もかかるだろうし、球場使用料もかかるだろうし、金がないと難しいよな、という方向で考えてしまうのだな。
一方コンサに転じてみれば、練習試合すらままならいわけで。 まあ3日にあったチャリティマッチの結果を持ち出すまでもなく、実戦不足は明らかなわけで。 地続きの場所であれば、容易に行き来できるわけだから、いくらでもやりようがあるが、こちらはそうではないのだから、行くにしても来てもらうにしても費用面だけでもばかにならないわけで。 そうなると思うようにできない。ようやく大学との練習試合を組んでも再開前に2試合をようやくで、というのは不安要素だよなあと。 でそれを嘆いてみたところで、どうにかなるものでもないのだし、それを受け入れてやっていくしかないのだがね。
話は変わって。昨日は東京電力社長の会見があったのか。 出てくる結果を見る限り、想定内の内容でしかなかったのだな。 彼らにしてみれば当初は「想定外」で逃げ切れるように考えていたのだろう。 しかし、このような例も含めて、いろいろな形で予見されていたのだから、済まされるベレルの話ではない。 明らかな人災にあって、小手先でのやり口を許してはならない。 批判封じのためにばら撒く一方で、本来は金を使うべきところに使ってこなかったのだから。 震災発生から1ヶ月以上が経過しても、何ら進展していないように感じるのは私だけではないだろう。 時間の浪費だけを感じ、徒労感は酷い。
とまあ、無理に展開してしまったのではある。
posted by akira37 |05:01 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)