コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2011年03月19日

引っかかる言葉

簡単に収束するような事態だとは思っていなかったけれども、正直なところ歯がゆさがある。
一週間は結構な時間であるはずなのに、肝心な部分では何の進展も見られないことには、苛立ちすらある。
勿論、当事者ではない部分を持ち合わせていると、やりきれなくもある、というのがここまでであろうか。


振り返れるような状況でもないのだが、ここまでで気になったことが個人的にあるので、書き留めておこうというのが、今日の主題。

まず「壊滅的」という表現。
確かに津波で根こそぎ持っていかれた町の様子を見れば、そうとしか表現のしようがないのだろうが、ニュースで頻繁に使われるの聞くにつれて、嫌な気分になってきたのだな。
何か単純に配慮に欠けている、冷たい表現、あるいは被災されている人々からすれば、心に突き刺さるようなものではなかろうかとも思うのね。
他に表現のしようがないのかもしれないし、勿論これは個人的な感想だから、考えすぎだと言われえればそうなのかもしれないけれども、この表現は結構ストレス要因にはなっていたのだ。

そして「原発」という表現。
勿論「原子力発電」の略称に何を、ということはあろう。
しかし考えてみると、なぜこれだけが略称なのか。「火力発電」「水力発電」「風力発電」をそれぞれ「火発」「水発」「風発」とは略すことはあまりないような気がして(「風発」は一発で変換できたが)。
嫌悪するのは、原子力爆弾の略である「原爆」に音感が近くて、そのイメージに近くなることもあるのだが。

たかが単語の一つや二つで引っかからなくてもいいのかもしれない。
しかし、自分の中では地震発生直後に頻繁に流れた「津波で家や車が流される映像」や現在頻繁である「AC」同様に、充分なストレス要因になっている。


地震に関連して、もう一つ。

昨夜はkitaraに出向いて札幌交響楽団の定期演奏会を聴きに。
予告されていたように、被災者への哀悼を込めての追悼演奏があったのであるが、選曲が秀逸だった、というのが一つの感想。いやあ普段は気丈に暮らしているけど、おもわずこみ上げるものがあって参ったな、というのが正直な状態でした。
実は彼らは今年の2月1日に被害の大きかった町の一つである女川町で演奏会をしてきたばかりですから、遠くても他人事にはならないであろうことも付け加えて置きます。
今日もありますので興味があればどうぞ。午後3時からです。
なお本プログラムであるマーラーの交響曲第7番は、彼の交響曲の中では恐らく一番演奏されない珍品にして、しかしやりたい放題の感想を持っておりますので、沈みがちな今にあっては元気を取り戻すのに良いだろうとお勧めする次第です。


さて、今日のメインは募金に出向くことではありますが、何か現場が凄い状況になりそうで。
いやいや普段意識されていない中では、各々のチームの存在を示すのにはいい機会だと考えるようにしましょう。


posted by akira37 |04:44 | その他 | コメント(0) | トラックバック(1)