2010年12月19日
他人事ではない
今朝は録画していていたNHK-BSの「スポーツ大陸」を見る。 この時期にあわせたのであろう、横浜フリューゲルスの最後の2ヶ月間を取り上げていたのだな。 もうあれから12年になるのか。 干支で言えば一回りになるのね。
12年前といえば、コンサが初めてJの舞台で戦った年であった。 当時はJ2はなく、しかし翌年からJ2を作るということで18チームあったところから2つ減らすことになっていた。 そのときの降格するチームの決め方というのは、単純に下位のチームという訳ではなく、前年の順位を加味するという、今でも古くからのサポが愚痴る理由になるのだが、どうにも不可解なシステムに拠るものであった。 2年分の順位をポイント換算した上で、J1参入戦にまわるチームを決めることになるのだが、前年JFLだったコンサはポイント的には不利なわけで。 それでも1998年の順位はそこそこ良かったから、当年のポイントだけで残るチャンスもあったのだが、結果果たせず参入戦にまわることになって。 本来であれば2チーム落ちるところが、フリューゲルスの消滅により枠が一つになってしまった辺りが不幸の始まりの一つではなかったのかとも感じている部分で。 参入戦にまわったJの4チームの中では一番有利な条件で、最高4試合やるうちの1試合でも勝てば残れたはずなのに、見事4連敗で唯一でJ2降格チームなってしまったのは承知のところで。 まあそのときの諸々については、今日は書かない。
フリューゲルスのリーグとしての最終戦は、厚別での試合であった。 そのときはチームが消滅することが決まっていたものだから、そちらに情が移っていたのは残念といえば残念なことではある。 フリューゲルスは消滅が決まってから天皇杯決勝まで無敗で終わるのだが、リーグ最終戦前のコンサも3連勝していての最終戦だったのだから、本来であればもっとやれてもよかったはずなのだがね。 自分たちの降格の危機より、相手の事のほうが上だったような状態であったのも、今にしてみればカラーの一つになってしまっているのかもしれないもので。
番組を見てみれば、懐かしい顔もたくさん出てくる。 コンサ的には現コーチでもある、佐藤尽の姿はまあ承知の部分であろうけれども、印象深かったのは桜井の元気な姿と、たくさんのインタビューがあったことで。 フリューゲルスの中で最後に移籍先が決まった選手であり、そのチームコンサであったことも印象に残っていたのだが、2年の在籍退団後がよく判っていなかったものだから、その点では安心したような部分もあったのだな。
さてタイトルとの絡みだけれども、フリューゲルスに起こった出来事は、決して他人事ではない、ということなのだな。 昨今選手流出の噂も多くあるわけだが、その要因の一つには払えるものがまともに払えていないのではないか、との推測もあるわけで。 実のところ砂川を残せなかった理由の部分というのは、結構他の選手にも影響している気がしてならない。 確かにチームの成績からすれば、払われるべきものを増やすための理由としては弱いかもしれないが、個々の選手としては別だし。 J1からの誘いや出場機会が多そうなチームからの誘いで出て行くのは避けられないでしょう。 今年はたまさかその数が多くて目立っているのだが、背景には運営会社そのものの危機という部分があるのではないかの認識はしていた方がいいのかもしれない。 形は違っても、決して他人事のように見てはいけないと、総体の感想としては持ったものではあったのです。
posted by akira37 |07:01 | 雑記 | コメント(0) | トラックバック(0)