2010年01月25日
改めて姿勢のあり方を考える
例えばTV・ラジオ番組で試食をする場面で、レポーターが「それでは食べてみたいと思います」という表現をすることは珍しくない。 この表現が出るたびに、私は眉をひそめる。 そこは「食べます」「食べましょう」だろう。 「○○したいと思います」という表現は、言語学者的には婉曲なもの言いをする日本語の特徴と言われるだが、自分がこれからする行為に対して「思う」というのはおかしいものであり、私は神経質なくらいに使わないよう気をつけている。 また、そこにある裏の気分は何かあったときに責任を回避したい、という姿勢も感じられるもので。 また例えばインタビューの締めとして、番組のメインキャスターに対して「頑張ってください」というのもよく聞かれるところであるが、これもどうか。 キャスターから見れば「あなたに言われなくても、私はいつも頑張っています」という皮肉を言いたくもなるものではあるのだが。 そこにあるのは、一方的なものである。 それもまた細かいことだけれども、慎みたい表現だと考えるのだけれども。
キックオフイベントから一週間が経過した。 もうなのか、まだなのか、開幕までまだ1ヶ月半近くあるのは、何とももどかしいものではある。 今年は例年以上にその様子がTVでも流れたけど、今更ではあっても、そのときに出てきた言葉について考察したい。 まずゴン中山最初の登場のときの挨拶の後半はこうだった。 「ともに戦いましょう」 監督の締めのことばで、最後はこうだった。 「We can do it」 何を言わんとしているか、読み取っていただけるであろうか。 キーワードは「我々」である。 ピッチ上で戦うのは選手だけれども、一方的に戦っているというものではないということ。 応援にしても一方的なものではない。 例えば拙いプレイがあったときに、ため息をついたり野次をとばすのではないということなのだろうと。 どなたかのブログにあったが、こうした行為は選手たちに伝染するものであるということだし。 甘ちゃん、とかいうのではない。 一方的ではない、共に戦い、その結果も共同責任としてあるのだ、ということを理解して、改めてその気持ちで向かって行きたいものである。
posted by akira37 |05:01 | 雑記 | コメント(0) | トラックバック(0)