2010年01月10日
やはり感動を作ってはいけない
昨夕は高校サッカーを何気に見ていたのではある。 準決勝第2試合は、青森山田が2-0とリードした中で終盤を迎えた辺りで本格的に見始めたのだが、関西大第一が1点を返して、判らなくなった。 俗に2点差が一番危ない、という事の典型でもあったのであろうか。 かつてロスタイムに3失点したチームのことを思い出していたら、同点になってしまった。 こうなると、第三者的には単純に見ていて面白い。 ただ、準決勝では延長がないから、前後半終了で即PK戦というのはどうなんだろうと。 そのPK戦も小憎らしい展開ではあったが、さすがに大逆転劇とまではいかなかった。
ここまで例によって音は出さずに見ているだけである。 某掲示板を見やれば、やはり実況は想像の世界の通りであったのか。 実態は偏ったり、物語を作ろうとしていたりしていたようで。
どうもこの局は、スポーツ実況において妙なこだわりがあるようで。 私などは単純にあるがままの姿を伝えてくれるだけで充分だし、解説にしても一般的には気づかないような部分を知らせてくれる程度で充分だと考えるのだが。 ここでは「取材」を通して物語を持ち込む。 実際その経験が、モチベーションになって競技に向かうことはあるであろう。 しかし、それは各々の心内にあればいいだけのことであって、見ている側はその背景を理由にしてどうこうということはない。 単純に余計であり、邪魔。 どうにもその押し付けがましさに加え、肝心の伝える技術の未熟さが上回ってしまうものだから、辟易して聞きたくなくなるのだな。
少々脱線してしまうが、アナウンサーの本質はいかに正確に伝えられるかにある。 肝心な部分がおろそかなのに(それをNGとかハプニングとか称して2次使用する様のみっともなさにも気づかないでいて)、物語を聞かされるのは違うのではないかと突っ込みたくなる。 ゆえに、こと民放のスポーツ中継では音を排除するという、言われた側には屈辱的な行動しか取れないのだろうな。
他の分野でもそうなのだろうが、大事なことを見失うような(あえて避けているケースもあるのだろうが)行為を繰り返せば、いずれしっぺ返しが来るであろうことをそろそろ自覚して欲しい、というまとめではあるのです。
posted by akira37 |05:13 | 雑記 | コメント(0) | トラックバック(0)