2009年09月26日
貧しきマスゴミ
週末に発売される某週刊誌の広告を、昨日の地下鉄車内で見かけた。 その中に、先日登山中に滑落して亡くなった漫画家についてのものがあって、某宗教団体と関係があったらしい見出しが大きくあり、目に飛び込んできたのである。 その時にまず感じたのが、「何と貧しい姿勢なのか」ということであって。 第一、亡くなられてからそんなに日が経っていない時期に、しかも本人の業績とは別の次元で、こんなことを書く意義がわからない。単純に「礼儀」を逸しているとしか言えない、低いレベルのことでしかない。 編集部の姿勢としては、スクープのつもりなのだろうが、個人的にはだからどうした、的な感想しか出てこない。 この見出しを見て、中味を確認しようという動機には勿論ならない(まあ週刊誌の多くのこの手の広告は、見ただけでおなかいっぱいになってしまって、改めて購入する気にならないことの方が圧倒的に多いのだが)し。いい加減やめて欲しいものでしかないなあ。 ついでに言えば、衆議院議員選挙後の、スキャンダラスな記事というのもどうなのかねえ? 肝心なのは、これからの活動に対する姿勢なのであって、過去を暴いたところで、「だから何?」ということでしかないのだが。
最近の旬の話題の一つに「八ツ場ダム」の問題がある。 大臣が視察に出向いた時期は、私は父の実家にいた関係で、各局のニュースというのか、そういう類の番組をたくさん見かけることにもなったのだが、その感想はやはり強い違和感しかないわけで。 「建設中止反対派」ばかりが目立つのですな。それも情緒的な観点というか、視野が狭いというのか。 現地には「建設中止賛成派」もいるはずだけれども、ほとんど報じられない。 少なくともこのやり口は、公正さを欠く。 そもそもこの問題は、「造るかどうか」だけの観点で終わらせるべきでものではない。 造られなかった場合に、過去のかかった経費について補償する旨を表明しているのに、その点には触れられない。 造った場合でも、維持費や人件費がかかるわけで、その点も触れることなく、トータルでの経費比較すらもされない。 もっと言えば、本当に必要ならばすでに完成していてもおかしくないくらいの年月が経っているのに、見込み以上に予算が消費されており、論点を摩り替えて論じていることには誰も突っ込みを入れていない(予算が7割使われたとされること=7割完成したでないことくらい当たり前だろう)。 元々50年以上前に建設をしようとした理由が、現在では理由になっていない状況を見ないで、「造り始めた以上は、止めてはならない」という論理は、悪しき慣習でしかないことを学習しないと、無駄使いの繰り返し(あるいは一部の人々の利益でしかない)をするだけなのを、もっと考えたほうがいいのではないのだろうか。 より深いレベルで議論しなければならないのに、表面的、あるいは一方的な部分でしか物事を見られないのだとすれば、そんなマスゴミはいらない、でお仕舞いでしょうなあ。
そんなマスゴミは無視すれば済むだけのことなのですが、周囲を見るとまだまだ影響されやすい部分を感じるので、これからもくどく見つめる必要があるということです。
posted by akira37 |05:53 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)