コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2009年05月27日

そこにある「違和感」

堅い話から。

札幌の釣具店から万引きをし、それを追いかけた店員を死なせた被告の判決というのが昨日あった。
で聞いていて、争点として出てくるのが「殺意があったかどうか」ということ。

個人的にはこのことが出てくる度に違和感を覚える。これは被害者及び遺族にとっては、だからどうした程度のことでしかない。理由があろうがなかろうが、殺されてしまったことには違いがないのだから、それで量刑が変わることについてはいつもやりきれない印象に至るわけである。

もう一つ似たような印象を持つ争点が、「心神耗弱状態にあったかどうか」というもの。
これも同様に被害者及び遺族にとっては関係のないことである。心の問題というのは、目に見えるものではないから、いくら善人ぶっていても心の中で舌を出している可能性だって否定できないのだし。

そもそも事件を起こすということは、普段問題なく生活している人でもその瞬間は少なくとも正常ではないと考えれば、その設定そのものにも本来無理があるのではないか、とまで言えるのかもしれない。
これが更に進んで、無罪までいった場合のことに触れれば、また同じような事件を起こした時に裁判官はどう言い訳するのだろう。どう責任を考えるのだろう、と。

以上のことは、勿論素人の戯言だから、専門家からみればどうなのよ、でもあろう。現状「裁判員制度」で呼び出し予備軍にはなっていないけど、もしそうなって以上のような争点が出てきたら、大いに違和感を抱くのだろうとは想像する。


ついで、柔らかい話。

いわゆる「ワイドショー」なるものは、日中は当然に見られないし、わざわざ関心を持ってまで見ることもない、まあくだらないものではある。
が、朝は「朝6」をNHKと並べて流しているので、取り上げられるスポーツニュースや芸能ニュースはいちよう押さえられるようにはなっている。

その中で芸能ニュースなるものは、本当に芸能なのかと。
芸の評論でもなく、芸についてでもなく、まったくどうでもいい、熱愛だとか妊娠だとか別れただとか、本筋と関係のない部分で喜々としている。
まったく評価するにも値しないくらいレベルの低いことであるけど、良識ある部分からみれば、とっても違和感のあることだよなあ、と無理にまとめてみる。

posted by akira37 |07:15 | その他 | コメント(1) | トラックバック(0)