2007年11月02日
やっぱり出てきたか
「感動をありがとう」 何度も指摘しているように、明らかに日本語としておかしいこの表現が出てきました。 もともと感動は「する」ことはあっても、礼を言うものではない。 しかし、昨今この表現が巷に溢れすぎていて違和感がないというのもおかしいのですがねえ。 って、少なくとも今年はそう言うことに少しは抵抗はないのかねえ? 昨日なんて、下手したら後生までの語り草になりかねないくらいの酷さだろうに。 まあ結果にかかわらず、商売的には今日からあちこちであるのでしょう。 近所のダイエーのチラシにも冒頭の表現が踊っていた。 あれホークスとはバッティングしないのか、と思ったらそうか今はソフトバンクだから別に関係ないのか。まあいいけど。
と、我々に置き換えた場合、そういう表現をすることはあるのだろうか、と考える。 コンサの試合を見て、今年は何度か感動できる場面に出くわしたが、勿論そのことについて礼を言うことなどない。 時に我々は試合を見に行くことを「観戦」とは言わずに「参戦」という表現を用いる。 これは明らかに「共に戦っている」ことの現れであるからにして、決して自分たちに礼を言うことなどにはなり得ない。 将来この誤表現が日本語として間違いではないと言われるようになったとしても、使うことは決してないだろう。 こちらはまだ約1ヶ月もシーズンがあって、気の抜けない日々が続きます。 救いは少し早く、世間の喧騒から脱出できたことでしょうかねえ。
posted by akira37 |07:36 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)