2006年12月25日
堀井岳也の記憶
承知の通り、天皇杯準々決勝の前に堀井岳也の引退セレモニーが行われたのだけども、冷静に考えるとこれはかなり異例としか言いようがない。 ・天皇杯という場 ・場所がホームスタジアムではない ・だいたい勝ち上がらなければすることも不可 ・しかも相手が過去に在籍していたチームである幸運(新潟だったらやっていないだろう) ・失礼を言えば、特に日本代表だったわけでもなく、甲府に長く所属してもいなかった(最初の2年と最後の1年のみ、残りは山形が約1年半・コンサが4年半でコンサが一番長い) ・だからか花束は両チームからの贈呈になった また場所が仙台だったということは ・元所属していた山形(仙台の隣ですよ)にも義理が立つ ・何でも彼のご両親は現在福島にいるとかで、これならば行くにも近くて助かる といったような偶然も重なったとは言えるのでしょうな。 結局両チームが予想外の結果を残せたからこそ出来た技みたいなところはあるのでしょう。 ところで彼に関しての記憶言えば、一番はやはり2001年J1第2ステージで当時4連敗中から脱したホーム清水戦でのVゴールでしょうが、この際いろいろ思い出して見るといろいろと出てきそうです。 まだコンサに来る前山形にいたときの2000年函館での試合は、彼のゴールもあって調子に乗っていた鼻を折られるような出来事でしたなあ。 今年は16試合1得点に終わったとのことでしたが、その唯一の得点が甲府のJ1としての初ゴールというのも、記憶に残す出来ことでしょう。 と、あれこれ無駄な記憶の引き出しを探ったとき、天皇杯と結びつけて見ると、やはり記憶に残る部分があります。 2004年の天皇杯初戦はホンダロック相手に延長に持ち込まれるという醜態をさらしたわけでしたが、PK戦突入かと思われたときにVゴール(当時は延長はVゴール方式だった)したのが彼で、その時少しも笑いもしない表情が印象に残っています。 しかしそれがあったからこそ、当時の下克上のスタートがあったわけで、それを思えば、彼の引退セレモニーが天皇杯の札幌戦であったというのも、何かの縁のような気がしてなりません。
posted by akira37 |07:40 | 雑記 | コメント(0) | トラックバック(1)