コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2011年05月31日

29日は私の人生の忘れられない一日となりました

一生で忘れられない日って誕生日とか誰にもいくつかはあるでしょう。
植村花菜の歌詞みたいですが、29日は私にとって、それはそれは忘れられない
日となりました。決して大袈裟に書いてるわけではありません。

大事件が起き、それ自体は取り乱した恥ずかしい情けない話なのです。
ですが、<人の情け>とはこういうものなのかと、生まれて初めてこの年でわかったような
ことが付随して起き、それが忘れられない一日となる大きなことでした。


この日は、9:30からドームでサテの試合、13:00から厚別でトップの試合と
2試合があったことは承知の通り。
私自身はその2試合を両方とも観戦したく、丹念に時間調べた結果、厚別でのイベントは
スル―するだけで2試合とも見れるとの決断。

行動予定は、

 ①自家用車である場所まで行く(ドームの駐車場はプロ野球のため利用不可)
 ②そこからドームへバス(1時間に2本。乗り遅れると試合開始間に合わない)
 ③サテの試合を堪能する
 ④試合終了予定時刻くらいに離脱し②のバスの反対方向のバスである場所へ戻る
 ⑤車へ戻るのは11時55分ころ。大谷地には12時半ころ。厚別には試合開始直前かな
 ⑥トップの試合を必勝弁当を買って観戦

この机上計算で実行に移しました。
①と②まで順調。バスに遅れることなくドームバス停に到着。

ここで大事件が発生しました。

バス下車して、すぐ近くのセイコーマートで飲み物買ってサブグラへ行こうと思って・・・
ポケット探って、ない!財布ない!やべえ、バスで落とした~!!!

持ってた財布はこれです。
20110530-05.JPG
昨年の天皇杯の入場口で頂いた財布。重宝してます。 上に着ていたジャンパーの左ポケットに入れてたんです。 座席に座った時、はみ出てポケットから落ちたんですね。 お金だけならアホだなあ、しょうがないや、であきらめたのですが。 カード類がたくさん。万一、使用されたらとんでもないことになると、瞬間真っ暗な思いが。 と、同時になんとかせねば、と。しかし、時はすでに遅しか!あせりました。 とっさに思ったことは、無線連絡で財布を見つけてもらうこと。 1秒後には行動を起こしました。 36号線のドーム前ですから、中央バスが次から次と来るのです。 即、後先考えず、多くの人の迷惑も考えず、取り乱した姿で停車したばかりのバスA (このバスを仮にバスA、ドームまで乗ってきたバスをバスBとします) の前ドアの外から必死のブロックサインを運転手さんへ。 運転手さんは、中ドアから乗りなさいとのブロックサイン。 私は、乗るんじゃなくてと再度ブロックサイン、ドア開けてと。 開けてくれました。急いで外から事情説明。 乗客は10人くらいいましたが、私は迷惑かけてること全く考えずに必死に説明。  運転手さん、「無線ないんだわ、取り敢えず乗んなさい」→ガビーン     私  「お金一銭も持ってないんですが」→乗ってどうなる、と  運転手さん 「いいから乗りなさい、追いかけるから」→追っかける?     私  「スミマセン、有難うございます」→そういう方法がある! 追っかけてくれました。2台前のバスがバスBの気がしましたので、必死に  「あの2台前のバスのハズです」「申し訳ありません」「有難うございます」「あれです」 などと。 運転手さんは、  「停留所で追いつけるかもしれない、あるいは信号待ちで追いつくかも」、 と私を落ち着かせるようにおっしゃってくれました。 そして、実際に停留所で追いついたのです。 そのバスの真横にです! ところが、そのバスは私が乗ってたバスじゃなかった。 私は気が動転して、違った~~~と叫ぶばかり。  運転手さん 「無理だわ、そのバスもうわからないでしょ」     私  「終点はH営業所なのでそっちへ向かってるはずなんですが」  運転手さん 「行先違うから、タクシー拾った方が早いよ。タクシー拾えるとこで止めるから」     私  「お金なくてタクシー無理なんです」  乗客のお一人「H営業所に先に電話かけた方がいいよ。ほれ番号これだよ。         携帯貸してあげるかい」     私  「携帯は持ってます」 で、電話して事情説明して名前も告げて。  別の乗客の方「1000円あげるからこれでタクシーで行きなさい。すぐ近くだから」     私  「お金、貰う訳には行きません」  運転手さん 「着いたよ、向かいのあのタクシーで行きなさい」     私  「スミマセン、有難うございます。助かります。皆さんご迷惑おかけしました」 1000円頂いてタクシー乗ってH営業所に行きました。タクシー料金640円でした。 そしたら、私が乗ってたバスBは到着してて、財布が届られてたんです!中身も確認しました。 ホッとしました。と、同時に1000円くださった方のお名前をお聞きするのを 忘れていることに気づきました。 感謝の言葉伝えるべく、営業所の方にお話しして、その方を見つけてもらおうと思いました。 バスAであることは覚えていたので、バスAです、と伝えて最前列の女性であるとも。 ダメでした。運転手さんのお名前はお聞きしましたが。 そのあとは、紛失物の受け取りの手続きをしてドームへ向かいました。 この運転手さんの機転と乗客の方の親切があってことなきを得ました。 私の慌てぶり、動転して取り乱した姿。今、思いだしても恥ずかしい。 運転手さんと乗客の皆さんへ掛けたご迷惑は計り知れないでしょう。 何とかお礼の言葉を述べたい。 なので、今日H営業所に出向き、ご挨拶と女性の方を探す方法について相談させてもらいました。 実は、バスA内に<人を探してます>の掲示できるようなポスターの類を持参しました。 対応してくださった方は、後ほど上司と相談します、とのことでした。 姓名と電話番語を告げて帰宅しました。 ちなみに、石屋製菓の名品をお持ちしました。サポであることは告げてませんけど。(笑) この件があって、サテとトップの試合は集中力がない中での観戦となりました。 こういう大事件が起きていたのでした。 親切を受ける、する、そういうのは一杯ありましたが、<情け>の有難さをこれほど 身に感じたのは初めてです。 私に果たして<情け>を持った行動が出来るかどうか。 人生、生きていて良かったと思った5月29日は忘れられません。 つい今しがたH営業所から電話来ました。 結論は掲示できません、とのこと。申し訳なさそうな言い方でした。 私の方こそ、お時間取らせて申し訳なかったです。 こういう探すことの依頼は良くあるそうで、一度許可すると際限なくなるのとのお話でした。 探すことは不可能となりましたが、あの女性のお顔は忘れません。 長々と読んでいただきありがとうございました。     


posted by tnfaki |17:44 | 日記 | コメント(2) |

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この記事に対するコメント一覧
Re:29日は私の人生の忘れられない一日となりました

tnfakiさんこんばんわ(^o^)/

>人生、生きていて良かったと思った5月29日は忘れられません。

心の琴線に触れる出来事があるのは人間として生きて来た証しかもしれません。

ボクも似たような思い出があります。もう30年以上も前の話ですが千歳空港で用心の為に
財布など貴重品を入れたバッグを空港のトイレ内に忘れました。お土産とか他にも手荷物が
あった時に・・尾篭な話ですがゆっくりと大の方をしていたら「羽田行き○○便は間も無く
出発いたしますのでお急ぎ搭乗口に・・」のアナウンスに焦りました(^^;)

機内で気が付きw(゚o゚)w・・その時に隣の方がもう今は無いT殖銀行のエライさんで初対面の
ボクに「お困りでしょう」と3万円貸して頂きました。ちょうど快晴の岩手県上空を飛行中
で「高度が高すぎて良く見えないでしょうがボクは盛岡出身なんですよ」と岩手県の話を
してくれたのを良く覚えています。

帰道してから当然お金は返しに行きましたら支店長室に通されて「きっと返しに来てくれると
思ったから貸したのですよ」と笑って対応して頂きました。

バッグは千歳空港の管理会社からトイレの清掃のご婦人が発見してくれて無事戻りました♪
7月27日の出来事でしたので当時の飛んでた航空機がセブンツーセブンでしたので忘れ
られない日になりました。

自分の話で申し訳ありませんが・・思い出したので(^o^)v

posted by 大阪帰りの道産子 | 2011-05-31 21:12

Re:29日は私の人生の忘れられない一日となりました

>大阪帰りの道産子 さん

それは忘れられませんね!
セブンツーセブン。あこがれの飛行機でしたね。
今でもCMのサビの部分は口ずさめます。

posted by tnfaki| 2011-05-31 21:36

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