2008年11月14日

田村vs桜庭(かなり長文)

ブログ上ではJ1、J2の分析に明け暮れたこの2日間だったが、
2号との話のタネは、もっぱら大みそかのこのドリームマッチ決定だった。

今回の決定を機に、この一戦に臨む2人への思いを書き留めておきたい。

まず田村。かつて新日本との対抗戦を拒み、Kのリングで引退覚悟で
パトリック・スミス戦に挑んだ経緯から、この男は「孤高」「ストイック」
そして「赤いパンツの頑固者」というイメージを背負ってきた。

とんでもない

この人にはお茶目で、イタズラ好きで、ジャイアン流のガキ大将な部分もある。

それを身をもって味わったのが、当ブログでも散々既述した、ワタシと2号の新婚旅行、
田村がメガバトルT準Vを遂げた直後の97年2月のリングス・オランダ・ツアーだった。

このツアーは、マドリッドやトレドなどのスペイン観光も組み込んでおり、
夜のマドリッドでは、さらにオプションとして「スペイン料理とフラメンコの夕べ」
という催しがあった。田村もわれら2人もこれに参加した。

舞台では本場の踊りとギター、卓上にはスペイン料理とワイン、隣には新妻、
向かいの席に田村潔司。それはプロレス・ファン、至福の一夜と言えた
気分よく杯を重ねていると、田村が声をかけてきた。

@「顔赤いですよ。大丈夫ですか? 水飲んだ方がいいんじゃ」

ああ、何と優しい。その言葉に甘えて、水の入ったピッチャーに手を伸ばす。

A「ダメダメ、ちゃんと水を飲まないと」

田村はニヤニヤしながら、目の前のグラスに白ワインを並々と注いだ

げげっ

だが、プロレス・ファンたるもの、あの田村が自ら注いだ酒を拒むことなど許されぬ。
覚悟を決めて、グラスをあおった。

・・・あとは延々と@とAの繰り返し。リミッターを超えてモウロウとする
意識の中で、ワタシは田村の異名のひとつを思い出していた。

「Uの遺伝子を継ぐ男」

それはマット上のファイトのみならず、マット外の酒の席を含めた通称だったのか。
気づいた時は手遅れ。その後の醜態を2号は今も多く語ろうとはしない。
その場の写真もあることはあるが、お互いにあまり見返す気にはならない。


なぜ、こんな10年以上前の思い出話を紹介したかと言うと、
「オレの酒を飲みやがれ、この野郎」という田村の体育会系な部分が
最も発揮できそうな相手。それが桜庭ではないかと思うからだ。

これまでも瀧本戦や所戦など、マット界の先輩として威厳を見せ付けるような
田村の試合はあった。だが、田村と桜庭の間には同じ釜の飯を食った先輩・後輩
という特殊なつながりがある<年齢こそ互いに69年生まれの同い年だが

今回の一戦、桜庭は「時間無制限・素手・顔面あり」という過酷なルールを
唱えている。「田村さん、僕と真剣勝負でやって下さい」という意趣返しも漂う。
しかし、凄惨な展開で「ジャイアン田村」が覚醒する事態になれば、
むしろ不利なのは桜庭ではなかろうか・・・


一方、そんな展開はあんまり見たくないなあ、と思っている自分もいる。

というのは、話を再びリングス・オランダ・ツアーに戻すが、
帰国便を待つアムステルダムのスキポール空港の待合室で、
ワタシはこんな会話を聞いてしまったからだ(時効だと思うので打ち明ける)。

日明兄さん「桜庭ってのは、デキるヤツなのか?」

田村「基礎はしっかりしていますよ」

素知らぬふりをしていたが、内心、色めきたった。
折りしも、Uインター活動停止とキングダム旗揚げの間の時期だった。

田村に続いて、桜庭にもリングスが関心を持っている!
田村と桜庭の「Uの回転体」がリングスのマットで再現されるかも!

・・・残念ながら、その夢は実現しなかった。
しかし、キングダム活動停止後に金原やヤマケンがリングスに上がったことを
考えると、桜庭にもその道が全く無かったとは、当時言えなかったと思う。

今も時々、もし桜庭がリングスに上がっていたら・・・と考える。
山本や高阪のジャパン勢、ハンやミーシャのロシア勢と名勝負を残しただろうか。
KOKでノゲイラやヒョードルと向かい合っただろうか。

船木・桜庭・田村・・・一時代を築いた69年生まれのUのファイターたち。
彼らに残された時間が刻々と少なくなる中で、実現する田村vs桜庭。
それは、同じ69年生まれのワタシが10年以上前に思い描き、そして
かなうことなく、アムステルダムの曇り空に溶けて消えた夢のかけらでもある。
できることならば、大みそかの夜に、その夢が再び輝くように願っている。

posted by はかたん1号 |06:59 | プロレス・格闘技 | トラックバック(0)

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