2006年05月18日

あきらかに見る

今日は2件エントリする その1本目

今読んでいる本のひとつに「山月記 異聞」というのがあるのですが
わたしが高校生で劇部だった(んだよ)当時、全道ナンバーワンに輝き、翌年の全国大会で最優秀賞を獲得した札幌静修の舞台「山月記 異聞」の戯曲ほかと、作者であり指導者の森一生先生の指導メモがまとまった本。
ちなみに「山月記」は教科書にも載っている中島敦さんの山月記です。 
それを基にした別のお話。虎になった李徴の奥さんが出てくる話なんだけど、衝撃的な結末に戯曲読んだだけで泣けた。これ舞台だったら本当にすごかっただろうなと想像。
で、その本に出ていた言葉を引用する。 


 「あきらめる」という言葉がある。「あきらめる」は「諦念」「断念」などと同義であるが、その元義は「あきらかに見る」ということにある。従って、「諦念」「断念」の意味はへなへなと力の抜けた腑抜けの心根に生ずるのではなく、自分の力の及ばないもの、自分としてはどうすることも出来ないものを「はっきりと見据える」ところから生じてくる。その「心の動き」が「あきらめる」の心根ではないだろうか。

 つまり、「あきらかに見る」から「あきらめる」という言葉の意味の移りゆきには、断念に先立つ死力をつくした心の葛藤、もがき、あるいは到底叶わぬことと知りつつも何かを叶えようとする「あきらめの悪さ」等があり、それらを思いめぐらし、さらには、それに死闘をいどみ、どうにもならない深淵をのぞき見て、その結果どうにもならない今の自分の「現実の姿」を「しかと目を凝らして見る」ときはじめて、「あきらめる」という行動が完結するということではないか。と思うわけである。


あきらめる という言葉は決してネガティブではない。 
と、その真意を知りました。 
そして、「あきらめる」ところまでたどり着くのに猛烈な苦闘があり、
苦闘なしに「あきらめる」ことなど、本当は絶対に出来ないのだ ということも。

きのう、あやかちゃんが亡くなりました。
ここでも募金活動ですこしばかり協力させてもらっていただけに、無念です…
ご本人、ご両親、周囲の人達、
頑張って頑張って頑張りぬいて…
たどりついたそこに今、その人達だけが「あきらかに見る」ものがあるのだろうと思います…
そしてそれがどんなにか貴いか。
そのことをわたしは、忘れないようにしたいと。
遺されたものを。
見つめていたいです。

謹んでご冥福をお祈り致します。

posted by 笹姐 |22:15 | 日々是雑談 | コメント(0) | トラックバック(0)

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