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2008年12月05日

されど背番号12の日々

            『 背番号12の日々 』



室蘭には、何度も足を運んだ。函館にも行った、仙台にも行った、九州にまで、行った。1997年10月22日優勝の日、人目をはばからずに泣いた。1998年12月5日降格の日、もっと泣いた。初詣は、家内安全と勝利昇格を祈願する。車にステッカーが貼ってある。タイヤカバーにエンブレムが描いてある。ステッカーを貼った車を見ると「よっしゃ」と思う。月寒に雪割に行った。飲み屋の親父に「どーなの、今年は?」などと聞かれる。衛生放送に加入した。勝った日は大谷地駅までニコニコ歩く。負けた日は無言でトボトボ歩く。メガホンを3つ壊した。試合の翌日、良かったねーとか、残念だったねーとか言われる。コンサート、という文字につい反応する。赤黒のデザインに反応する。飛行機はあれしか乗らない。北海道土産は必ずあれにする。宝くじが当たったら半分は寄付する(つもり)。家族みんなでレプリカを着て地下鉄に乗る。娘が、ドールズになりたいと言っている。なったらうれしい、と思っている。ゴール裏で友達ができた。ゴール裏で出会った人と結婚した。スタジアムでは、よく通る声で知られている。裸になることで知られている。ツボをおさえた(?)ヤジで知られている。月曜日は声が枯れている。勝った試合のビデオは2回見る。負けた試合は早送りで見る。見ないこともある。メモ帳に結果を記入している。インターネットで熱く議論する。仕事の途中で、練習グラウンドをのぞく。出張は、アウェー試合にあわせようとする。いろんなバッグにカンバッヂがついている。全てのスケジュールは試合を中心に決める。そしてふと考える。北海道の人みんながこんな気持ちになって、こんな生活をしてくれたらいいなと。さて今日も、クラシックを飲みながら私は思う。私にはこんなに夢中になれるチームがある。心から応援できるチームがある。私は、シアワセだ。がんばれ、コンサドーレ札幌。勝つぞ、コンサドーレ札幌。私が、ついてるぞ。


                               

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                  「背番号12の日々」より













要は、そういう事なんだ。
このチームが好きなんだ。





Jリーグ発足から16年。
地道でも確実に、サッカー文化は全国に広がってる。
サッカーは日本中に根付き始めてる。

当初みたいな華やかさはないけれど。
でも、確かにサッカーを愛する土地は増え続けている。

たった10チームで始まったJリーグが、来年36チームになる。
そして、J参入を望んでいるチームはまだまだある。
地道でも地域に根付いて。
地元の人達と一緒に育っていこうとしている。



1992年、私にとってJリーグは「テレビの中のスポーツ」だった。
遠い世界の出来事だった。

それが、コンサドーレ札幌というチームが出来て。
試合に行く様になって。
ようやく、身近なものになった。


日常の中にサッカーを想う時間がある事。
生活の一部に試合に行く予定が入っている事。
その試合で一喜一憂出来る事。
チームと共に、笑い泣き怒り時には落ち込んで。
それら全てが喜びだった。
その全てに倖せを感じた。


日本中でその同じ想いを共有する人達が増えている。




それが、本当の意味で「サッカー文化が日本に根付く」って事じゃないかと思う。




日本各地で芽吹き始めた「サッカーの若木」。
それはまだまだ幼く頼りない。
だから、大事に育てなくちゃいけない。
せっかく芽吹いた若木が、冬の寒さで凍える事のないように。


今、この若木に必要なのは、冬の寒風ではなく、夏の陽射し。
異国の水ではなく、馴染んだ地元の水。

土が合わなければ、木は育たず枯れてしまうから。



まずはこの木をもっと大きく逞しく育てて。
異国の土に合わせるのは、それからで十分だと思う。





日本中のサッカーを愛する者達と共に。
この『自分達にとって唯1本の木』を育ててゆく為に。

posted by 半月 |21:19 | サッカーを想う日々 | コメント(0) |