2011年03月21日

時は進む

地震後2日間ぐらいは、取り憑かれたようにニュースとネットの情報ばかりを見てて。
自分の状態がヤバいと気付いたのは、14日の朝に某ブログを読んだ時。
「テレビの映像を見ているだけでもPTSDになっちゃったりするらしい」
その予兆の症状が、正に自分だと気付いてぎょっとして。
我に返る・というか、目が覚める・みたいな。
本当に、読んだ瞬間、正気になった。
お陰でその後は、現実に復帰出来たんだけど。


実はこの2年間、仕事を辞めて専門学校に通っていて、14日は卒業式だった。
ブログ読まなかったら、危うく卒業式欠席する所だったよ。立ち上がれなくて。
本当に行って良かった。先生達にもちゃんと挨拶出来たし皆にも会えた。

来賓のご挨拶は、札幌在住の建築家の方。
挨拶は当然、被災者へのお見舞いから始まって。



「僕はずっと建築は命を護るためのものだと思っていました。
 でも、今回の事で思い知らされました。建築は無力だと」



恐らく、最も強く思っていた事だったのだと思う。
この最初の言葉が、胸に刺さった。


日本の建築物は、地震には堪える様に出来ているけれど、津波に耐えられる造りではなかった。
これからは津波に耐える為の基準が作られるだろう。
でもそれが結果として、日本の美しい海岸線を全て消してしまう事になるような、そんな不安も抱いている。


そんな内容の事を話してくれた。
今にして思えば、まだこの方もこの頃は気持ちの整理が付いていなかったのかもしれない。
だから、前向きに、津波にあっても壊れないような家造りを目指す!って言えなかったんだろう。
確かに、建築家の目にあの風景は、絶望そのものに見えただろうから。
自分の仕事の全てが否定されたような気分だったんだろうなぁ。

あれから1週間。
少しは落ち着いてアイデアを練れる様になっているだろうか。
……いや、多分、大丈夫だろう。
クリエーター業の人って、芯が強いというか、すごくポジティブだから。
落ち込んでもいいから前を向け・みたいな。
悩みながらでもいいから歩いていけ・みたいな。
学校の先生達、みんなそうだったし。
だからきっと、大丈夫。





Jリーグは中断したまま、まだ再開のメドも立っていない。
でも、各クラブそれぞれの方向で動いている。
早くに3月一杯は中断・と決定してくれたお陰で、クラブ個々が動き易くなっているようにも感じる。
西日本では練習試合を兼ねたチャリティマッチが行われていて。
29日には代表もチャリティマッチをする事になった。
相手はJ選抜チーム。監督はピクシー。
なんか、久々にサッカーでワクワクしてるような気がする。

しかし、単にチャリティマッチなら、J選抜同士の紅白戦でも良さそうなものなのに。
むしろ「代表がチャリティマッチをやる」という事に拘りがあるように見えて。
海外組を招集してまでの、ガチのメンバー。
嬉しいけど何故ここまで?と思ってたら。

W杯の予選が9月からだと聞いて納得した。



日本が被災したからといって、世界の時計は止まらない。



予選が始まるまで半年なら、確かに1試合でも多くの経験を積んでおきたい所だろう。
クラブと違って代表メンバーはいつも一緒に練習している訳じゃ無いから。
だから、1試合が中止になるだけでも影響は大きいんだろう。
被災してたから練習不足だと言った所で、対戦相手が手加減してくれる筈も無いし。
日本の事情で世界は止まってくれない。

無事だった人達が俯いて涙を流しつづけていても、何も生まれない。
辛くても前を向いて歩き出さなくちゃいけない。
日常が日常であるための努力を。
そうして、本当に辛い思いをしている人達が、ようやく涙を拭って立ち上がった時に、手を差し伸べる事が出来る世界を維持してないとダメなんだ。
29日の試合が、そんな日本を支える人達に活力を与えるものになって欲しい。



被災地の人達には、彼らの命を繋ぐ救援物資を届けるための義援金を。
その他の地域の人達には、この状況でも前を向いて生きて行く力を。
代表選手にはW杯予選に向けて調整の場を、J選抜の選手達はザッケローニ監督へのアピールの場として。

なんかこの試合には、これだけの意味が込められている様な気がしてきた。




Jの決定の早さは、サポにも助かっているように思う。
遠征の予定立ててた人とか、早めにキャンセル出来ただろうから。
1節毎に状況見て決めてたら、大変な事になってたんじゃないだろうか。
「地域密着が裏目に出て被災したチームが多い」みたいな意見も読んだけど、むしろそのお陰で試合毎に大量のサポーターも動く・って事を協会も認識してくれてたように思う。
試合の度にアウェイまで追いかけて行くサポが全国にいる・なんて、サッカーじゃ常識みたいなものだろうし。

そういえば、野球はホームに拘らないんだろうか。
セリーグが強行開幕しようとしてた時に「西日本で試合すればいい」って意見が結構あって、疑問に思ったんだけど。
それこそ西日本のチームこそ地元の愛着が凄そうだけどなぁ。
関東のチームはそうでもないのかな。

パリーグは確か4月12日開幕。
Jもその頃には……と思ってたけど。
鹿島と仙台の損壊状態が半端無いらしいから、もう少しかかるのかな。
両チームとも、なんとか試合出来そうな状態のスタジアムはないんだろうか。
市内ではなくてもせめて同じ県内に見つかれば好いんだけど。
でも、競技場だけじゃなくて電力の問題もあるし。
最低でも1ヶ月、場合によっては2ヶ月は覚悟だろうなぁ。
いや2ヶ月で再開出来れば好い方なのかも。


けれど、どれだけ時間がかかっても。
必ずまた、あの日々を取り戻したい。
週末毎に一喜一憂して。
笑ったり怒ったり泣いたりを共有出来る、あのサッカーのある日々を。





日本中が、そんな週末を取り戻す日を信じて。

その日の為の礎をしっかりと築いておきたい。



posted by 半月 |01:00 | サッカーを想う日々 | コメント(0) |

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