2010年12月20日
「それでも」コンサドーレが好きな理由は、何ですか?
今日は少々刺激的な話になるかもしれませんが、どうか怒らずにご笑覧くださいませ。 最近、サポーターズブログや掲示板を見ていると、多くの方がとても苦しんでいるように見えます。 私にはどうも分からないのですよ。選手の動向一つが何故そんなに記事になるのか、と。 嬉しい話題なら良いのですが、中には残念な話も多いです。今年の場合は後者の傾向が目立つのも確かにそうでしょう。ただ、オフィシャルから具体的な話が出てこない日(そういう日の方が圧倒的に多いわけですが)にまでわざわざその件を話題にしようとする理由が私にはさっぱり分からないのです。 「来年のキックオフが楽しみ」という風な前向きな記事なら一向に構わないんです。でもここに並んでいる選手動向・チーム編成に関する記事は、果たして前向きと言えるでしょうか? はっきり言ってしまうと、「これ書いててうつ病に罹らないか?」と本気で心配になる、そんな内容の記事が多いのです。 たとえ本人は平気で書いてても、見ている人間が気分の重くなる内容が多いですよ。 「前向きになれる要素がどこにある?」確かに仰る通り。 でも、よーく思いだしてください。昨年末に中山雅史の入団が決まってシーズン前から有頂天になってたのは、 ど・こ・の・サポーターですか? 新潟の草刈り場になって悔しいと仰る方も多いですが、そういう我々だって他チームから選手を引っ張ってきた例は毎年あるわけで、人のことを言えた義理じゃない。大物選手を取れば狂喜し、放出話が続けば恨み事を言い、又は簡単にフロントの責任を口にする。 こんなご都合主義、許される訳が無い。違いますか? 悔しかったら、クラブの体質を強化しようぜと、そういう事ですよ。 私の場合は、選手の取捨選択はクラブの専権事項と思っているので、何の心配もしていません。 好きなようにすれば良い、だが責任は取れよ。 こういう考え方なので、気疲れしません。
悪のりついでに考察すると、私のようにここまでドライに考える人は、札幌サポの中では少数派なのかもしれません。 私なりに考えてみたのですが、ひょっとしたら、札幌サポは父性よりも母性の方が強いのかもしれません。 もし仮に、選手のことを自分達の可愛い子供同然に思っているのなら、それは母性が強いと言えると私は思います。そう考えると、その可愛い子供が他のクラブに売られていくなんて・・・と、身を切られるような気持ちになることもよく理解できる。 じゃあ父性的な考え方がどうかと言えば、実は私にもよく分かりませんが、私のようなのは、少なくとも母性的とは言えないだろうなと思います。
いずれにしろ、クラブの愛し方というのは人それぞれなので、父性的だろうが母性的だろうが関係ありません。同じ仲間です。 ただ、毎年11月末から年末にかけて苦しみ悲しみを味わうためにコンサのサポーターになった訳じゃないでしょ、と。そのことは言いたいんです。 今とても苦しいという方には、どうか、自分が何故コンサドーレのサポーターなのかというのを思い出していただきたい。 何故コンサなのか。 他所のチームは、例えばファイターズでは駄目なのか。 オンリーワンの何かがあるのかどうか。 これは自問自答していただく他ありませんが、少なくとも選手動静でストレスを感じるよりは健康的なのではないでしょうか。この答えが見つからない時は、無理してサポーターを続ける必要を見直すことも一考だと思います。その場合、貴方は決して悪くありません。貴方の想いに応えられない、というより応えてこなかったクラブの人間に責任があります。 ちなみに私は、ある程度の答えは持っています。細かく書けば長くなりますが、要するに貧乏ゆえに一般人でもチーム作りに参加できる機会がファイターズよりも多い、その点でコンサドーレでなければ駄目だと思っています。あとは歴史の長さですね。一番最初にできた北海道のプロスポーツチームなんだから、時間をかけてでもしっかり育てるのは当然。私は歴史の長さには拘りを持ちたい性格なもんで。 だから、私のチーム愛は時に厳しく、ドライなんですよ(笑)。
posted by Gekitei |20:36 | コンサドーレ及びHFC | コメント(3) |