コンサドーレ札幌サポーターズブログ

スポンサーリンク

2015年04月09日

フラチナリズムとの20日間

~最後まで伴走してください~

そうTwitterで書かれたのはいつの事だったか。ニトリ文化ホールをマラソンのゴールとするならば、俺が一緒に走れたのは武道館ニトリの数キロ手前から。
八王子に元々のファンがいて、彼らは札幌のファンとも積極的に絡んでくれる。お互いに情報交換し仲良くなっていく。同じフラチナ族として、同じフラチファンとして…。たぶん年齢も職業も性別もバラバラだと思う。ただ一つあるのは、フラチナリズムにハマってしまったということ。

考えてみれば、初期のコンサドーレファンもこんな感じだった。ホーム札幌、北海道のファンはアウェーの情報が欲しかった。アウェーサポはその逆だった。だから当時コンサ系のホームページが雨後のタケノコのようにできた。
ホームページの管理人が観戦旅行を主催した。交流の主はネットの掲示板、そして試合速報のチャットだった。メーリングリストも複数存在した。
時代は流れ、ミクシー、ツイッター、最近ではラインやフェイスブック(FB)が加わり、スタジアムもスカパーもテレビもPCも、ホームもアウェーも練習場も、自宅も職場も居酒屋も、リアルタイムで繋がるようになる。

フラチに関しては、一貫してTwitterで情報を得ていた。また発信した。コンサドーレと全く同じ手法を取った。ニトリに2,000人。時間が無かった。最適な方法は経験値がある手法だ。勝算はあった。彼らの商品である楽曲、そして彼ら自身をそのまま売りだせばいいのだ。自然体で、札幌に媚びず、素の彼らを…。たった1曲で彼らに惚れこんだ自分の物差しが全てだった。

読みは当たった。ユーチューブの札幌ドームLIVEは、当初の目論見通り視聴回数が伸びた。やっぱりイイものはイイ。歌詞付き動画も最初の3,000回はあっという間だった。
彼らの「勝手にコンサドーレ応援歌」には象徴的な歌詞がいくつかある。

 そうさ僕らは 運命共同体
 
 もう大丈夫 仲間がいるさ

コンサの選手とサポーターの関係を、バンドとファン(オーディエンス)の関係に見立てた。不安なAWAY札幌生活。精神安定剤を飲んで頑張った。いつしか「赤と黒の絆」をはじめとする新しい支援者が現れた。彼らは自分達で新しい世界へ飛び込み、自分達の手と足で開拓者になったのだ。

 春がすべてを溶かし ゴールを指すのさ

大洗から苫小牧に着いた頃は極寒の12月。到着して間もなくドラムスのソージさんはインフルエンザを発症。ツライ時期もあった。
それでも自分達の武器を信じた。ススキノでの流しだ。八王子で確立したスタイルを曲げなかった。

「ニトリのワンマン」は無理。こっちの武道館みたいなもの。業界に詳しい人ほど諦めムードだったと聞く。CDが売れテレビで顔が売れたアーチストしかニトリで出来ない。そんな業界の常識に果敢に挑戦した。フラチナリズムはファンの熱さに賭けた。とことんファンを信じファン拡大に努めた。奇跡を起こす、その一心だった。

「伝説に立ち合いたい」「歴史の目撃者になりたい」
ファンも結束した。一枚岩でメンバーを激励し続けた。
「売れたい」というストレートな思いを共有した。
限られた時間で最大の知恵を振り絞った。
もはや「できる、できない」ではなく「やるか、やらないか」の選択だった。

古い話で恐縮だが、ハウンドドッグのファンクラブが同じ手法で武道館を満員にしたことがある。「ff」でブレイクする前の話だ。当時チケットを手売りしたファン達の手記が一冊の本になったくらいの伝説である。ドッグはCBSソニーからメジャーデビューしていた。

フラチナリズムはメジャーでのデビューが決まっているとはいえ、過酷な条件付きだった。それは話題作りの範疇を越えていた。「出来なかったら終わり」それは解散を意味していた。生活費のやりくりから何からメンバー4人とマネージャー1人で戦ってきた。スポンサー集めもまたコンサに似たような地道さだった。少しづつ応援の輪が広がった。クラップスホールを無料とはいえ230人のフルハウスに出来た。モリさんはファンに向かって言った。マネージャーが○○○人いるんです。季節は冬が終わり春に向かう途中だった。

さぁ、○○○人のマネジメントは、一体どんな結末を迎えるだろうか。
ひとりひとりのマネージャー(いつしか一ファンから自分で昇格w)はそれぞれのやり方で信念を貫いてきた。その信念とは、ズバリ「ニトリ2,000人」初志貫徹である。遠かった目標は、いつしか「満員の光景」を見られるであろう確信に変わっていた。

札幌から奇跡を起こす。札幌でメジャーデビューさせる。
その一念で突っ走ってきた。なりふり構わず無我夢中だった。そしてなぜか楽しくて仕方なかった。生活にハリができていた。

合言葉は「ワクワク」だ。これが手作りライヴの醍醐味なんだなと思う。
ライヴを無事成功させて、彼らのホームタウン八王子に還す。
そうなった時、地域密着いや土着型エンタテイメントの基地は2か所となる。
俺達の誇り、フラチナリズムは走り続ける。歌い続ける。そして叫び続ける。

5月には八王子オリンパスホールで凱旋ライヴも待っている。
当然、あの曲は公認の申請を出しCD化され、札幌ドームにも凱旋する。
妄想が止まらないのは、フラチ特有の熱病なのかもしれない。いや、実現できるとマジで思っている時点で既に不治の病なのかもしれない。幸せなビョ-キだ。コンサと被る夢の世界なんだとつくづく思う。

ファンはあくまでもファン。
プロサッカー選手にもなれない。バンドマンにもなれない。
彼らに夢を託しているのである。そんな生活もまた非日常的で刺激があって悪くない。悪くないしやめられない。もはや中毒なのである。


1428510523-CCDy3VeW4AAFakL.jpg
                 道新スポーツ 2015年4月8日(水)付 https://www.youtube.com/watch?v=bFxM_dolo8w フラチナリズム / コンサドーレ勝手に応援歌 @琴似コルテナ


posted by odo5312 |00:01 | フラチナリズム | コメント(0) | トラックバック(0)