2012年02月12日
トップリーグ過去4季を振り返る
まずはウィキペディアからダダっとコピペ。 J1に立ち向かうために、まずは過去の記憶を整理する主旨。 J1チャレンジ第1期 1998年(Jリーグ) 降格1回目 http://www.consadole-sapporo.jp/info/topteam/1998/ 戦いの場をJリーグに移した1998年、1stステージでは第4節のG大阪戦でJリーグ加盟後初勝利をあげたが、4勝13敗の16位に低迷。2ndステージは持ち直したが、フロントとの意見の不一致から10月にフェルナンデスが監督を解任された。後任に石井肇が就いたが、2ndステージ8勝9敗の10位で、年間順位は12勝22敗で14位(全18チーム)となった。 この年は翌1999年からJリーグが2部制に移行する関係で、シーズン終了後にJリーグ下位チームとJFL優勝チームによるJ1参入決定戦が予定されていたが、このJ1参入決定戦に回るチームはこの1998年のリーグ戦の順位ではなく、1997~1998年の2シーズン通算の順位ポイントによるものだった。1997年シーズンは下部リーグJFLにいた札幌には1998年1シーズンのみの順位ポイントしか計算されないという札幌には不利な条件となっていた。J1参入決定戦で神戸、福岡にそれぞれ2連敗を喫し、Jリーグ史上初の降格チームとなった。J1参入決定戦を回避するために繰り返した選手補強も実らず、またJリーグ昇格による観客動員増加も想定ほどではなく、累積赤字は27億円以上にのぼった。 バルデス (パナマ) 21点 (34試合) リーグ4位 バルデス・ハットトリック 5月9日 J 1st 第12節 室蘭 3-2市原 J1チャレンジ第2期 2001年 残留成功 http://www.consadole-sapporo.jp/info/topteam/2001/ 創立5周年を迎えた2001年シーズン Jリーグ ディビジョン1(J1)へ昇格。レンタル選手依存体質からの脱却が優先事項となり、とりわけ31得点でJ2得点王を獲得したエメルソンの完全移籍が最重要課題であった。この為の資金を捻出する方法としてサポーターから増資を募る。最終的に、 2億5千万円という目標を上回る3億円近くの資金を集めることに成功した。この増資の最大の目的だったエメルソンは退団したが、「エメルソン基金」と呼ばれるようになったその資金を基に他の主力選手を完全移籍させ、またエメルソンに代わるストライカーとして大分のFWウィルをレンタルで獲得した。 開幕戦ではC大阪にアウェイで競り勝ち、続く柏戦(ホーム高知開催)でも勝利。勢いに乗った札幌は一時は2位にまで上がるなど予想以上の戦いぶりを見せた。またウィルが24得点で得点王を獲得する活躍もあり、10勝15敗5分の11位(全16チーム)でJ1残留を果たした。また、同年完成した札幌ドームの集客効果も加わり、平均観客動員数は2万人を突破。2年連続で単年度黒字を達成した。更に、山瀬功治がこの年J1最優秀新人選手賞を受賞。この年も新人の今野泰幸が高卒1年目でレギュラーを獲得し、自チームでの戦力養成にも道筋がつき始めた。一方で、このシーズンを以て岡田監督が退任。またウィルが横浜FMへ、ウィルと2トップを組み9得点を挙げた播戸竜二が神戸へ移籍した。さらに名塚善寛が怪我の影響で引退、主将の野々村芳和も引退した。 ウィル (ブラジル) 24点 (30試合) リーグ得点王 ウィル・ハットトリック 9月29日 J1 2nd 第7節 厚別 5-2神戸 J1チャレンジ第3期 2002年 降格2回目 http://www.consadole-sapporo.jp/info/topteam/2002/ 2002年開幕戦スタメン 監督 柱谷哲二 佐藤洋平 森下仁志 マクサンドロ 吉川京輔 大森健作 山瀬功治 今野泰幸 ビジュ 平間智和 ロブソン 小島宏美 新監督としてS級ライセンスを取得したばかりで監督経験の無い柱谷哲二を招聘。ウィルに替わるストライカーとして、ロシアサッカー・プレミアリーグの強豪FCスパルタク・モスクワからブラジル人FWロブソンを、そして日本人選手では東京Vから小倉隆史、G大阪から小島宏美らを獲得した。しかし、ロシアリーグ得点王(後にこの経歴は虚偽と判明)、UEFAチャンピオンズリーグ出場という肩書きをひっさげて鳴り物入りで加入したロブソンが全く振るわず、チームは開幕から黒星を重ねた。結局ロブソンは同年加入したDFマクサンドロと共に5月末に退団。柱谷は「ロブソンには責任を取ってもらう」と発言したが、これには選手に責任を転嫁する発言だとして批判も強く、6月(W杯開催によるJリーグ中断中)に解任された。 クラブは後任の監督として レアル・オビエド(スペイン)のチームコーディネータを務めていたイバンチェビッチ・ラドミロを招聘し、また同じくユーゴスラビア(現セルビア)人FWバーヤック、ブラジル人MFジャディウソンの2人の外国人選手をはじめ、日本人選手も次々と獲得して立て直しを図ったが、試合内容は改善したものの勝負弱さは払拭できず、成績は一向に上向く事なくイバンチェビッチは9月に辞任した。後任に張外龍(チャン・ウェリョン)が内部昇格したが、一度狂った歯車は元には戻らず、10月27日のカシマスタジアムでの鹿島戦に敗北して、2度目のJ2降格が決定。シーズン通算で5勝24敗1分、最下位(全16チーム)に終わった。度重なる監督交代や選手獲得によりチームの財政は再び悪化、9千万円近い赤字となった。クラブ関係者がGOAL隅に塩を盛る位のどん底に陥った。 小倉隆史 7点 (30試合) リーグ27位 J1チャレンジ第4期 2008年(J1) 降格3回目 http://www.consadole-sapporo.jp/info/topteam/2008/ 2008年基本布陣 監督 三浦俊也 高木貴弘 (佐藤優也) 坪内秀介 西嶋弘之 (柴田慎吾) 西澤淳二 (箕輪義信) 池内友彦 藤田征也 芳賀博信 (ディビッドソン純マーカス) クライトン 西大伍 (西谷正也) 中山元気 (アンデルソン) ダヴィ 三浦体制2年目。2008年は前年度優勝にも関わらず黒字幅が小さかったこと、膨大な債務超過を解消する目途を立てなければJ1参入を認めないと指摘されたことにより、資本金を80%減資(額面5万円の持株会員券が額面1万円になった)してその上で増資するなど、かなり苦しい状況となった。その為、大型補強ではなく身の丈にあった堅実な補強が行われた。具体的には、広島から吉弘充志を完全移籍で、神戸の坪内秀介、清水の平岡康裕、新潟のMFディビッドソン純マーカスをレンタル移籍で獲得、新人は室蘭大谷高校の宮澤裕樹と柏U-18の堀田秀平が入団した。一方、前年のJ1昇格に大きく貢献したブルーノ・クアドロスが退団、FWダヴィを完全移籍させた。新加入のMFアルセウ(元柏)はチームと自身の起用法などとの方向性の違いによりキャンプ中に退団したが(その前日の親善試合で監督が指示した守備的なプレーに反発し、相手チームの選手に対する暴力行為で退場したことが発端)、新たにアトレチコPRからMFクライトン(元名古屋)を獲得した。 しかし、2007年に堅守を誇ったDFラインに負傷者が相次ぎ、ゾーンの穴を突かれての失点やセットプレー時での失点癖が目立ち守備が崩壊。また、点取り屋として期待されたノナトも調整不足などからレギュラーにも至らない状態であった。戦力不足が影響し、中断期間突入時点で降格圏内の17位と低迷した。この状況を打破する為ノナトを解雇し、FWアンデルソン、更に川崎から箕輪義信を獲得したが、怪我人の離脱、悪質なファウルによる選手の退場が圧倒的に多く(1試合に2人以上の退場者が出る試合もあった)、攻撃もほとんどダヴィとクライトンの個人技頼みで、攻撃手段も偏りが見られていた。大量に得点してもすぐに追いつかれる試合や大量失点で負ける試合が多く、10月19日の第29節柏戦に敗北して1年でのJ2降格が決まった(5試合を残しての降格は2007年の横浜FCと並ぶ最速)。10月26日の川崎戦に敗れ、最下位(全18チーム)が確定。12月6日の最終節で鹿島に敗れ、目の前で優勝を決められた。 ダヴィ (ブラジル) 16点 (34試合) リーグ2位 2012年 トップリーグ5度目の挑戦。 開幕まで1ヶ月を切った。 まずはウッチー内村に期待する。 J1大分での得点実績はわずか2得点だが、J2愛媛、札幌で実績を残した。 参考として二人の先輩FWを挙げたい。 一人目は播戸竜二。 2000年J2で15得点 ⇒ 2001年J1で9得点 と期待に応えた。 二人目はダヴィ。 2007年J2で17得点 ⇒ 2008年J1で16得点 と気を吐いた。 さて、ウッチーはどうなるか。 2011年J2で12得点 ⇒ 2012年J1で??得点 ↑J1残留のためには「打てば入る男」の活躍が不可欠だ!
posted by odo |17:26 | データファイル2012 | コメント(0) | トラックバック(0)