コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2010年06月23日

W杯見て札幌を考えるのココロだー

【2010W杯熱闘予想と途中経過】

A組:×フランス(4位)、○メキシコ(2位) ※1位ウルグアイ
B組:○アルゼンチン(1位)、○韓国(2位)
C組:イングランド、スロベニア
D組:ドイツ、ガーナ
E組:○オランダ、日本
F組:イタリア、スロバキア
G組:○ブラジル、ポルトガル
H組:スペイン、チリ




 W杯で見たもの(世界的潮流)を無理やりJ2札幌に持ってきたくなる。
今大会のメキシコやスイスになぜ好感を持ってしまうのかという個人的テーマが浮かび上がる。
 宇都宮さんのコラムにその答えがあった。薄々みんな気付いていることだろうが、とにかくすんなり読める良いコラムである。
紺字で引用(改行、段落加える)してから札幌的視点で検証してみよう。

思えば、2008年のスペインのユーロ(欧州選手権)での優勝、そして09年のバルセロナのチャンピオンズリーグ優勝は、いずれもポゼッション重視の攻撃サッカーが、最も美しく理想的なものであり、それこそが善であるというテーゼを世界中に流布させることとなった。

その結果として「攻撃的=善」「守備的=悪」と言わんばかりの二元論や、ポゼッションさえ高めていればおのずと勝利できるといった悪しき誤解がまん延し、誰もがスペインやバルセロナを「あるべき姿」として追い求めるようになっていった。

だが言うまでもなく、サッカーのスタイルに善悪はなく、美醜の価値観も国や時代によって大きく異なる。整形手術によってスタイル抜群の美人ばかりになった世界が、どれほど無意味で味気ないものか想像してみるといい。今回のW杯は、そうした現状を是正する、まさに契機となる大会になりそうな気がしてならない(スイスの堂々とした戦いぶりを見よ)。

http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/cdetail/201006220006-spnavi
『ポゼッション至上主義の終えん?
宇都宮徹壱の日々是世界杯2010(6月21日@ヨハネスブルク)』


Jリーグ全体にも、J2にも、そしてコンサにもこの問題が横たわっている。
コンサに当てはめてみると、

(1)「攻撃的=善」(柳下監督)、「守備的=悪」(三浦監督)と言わんばかりの二元論がある
札幌にとってという意味では善悪が真逆の論調もある。しかし、どちらも2~3年づつ時間を費やして貯めた貴重なコンサの記録であり参考資料だ。これを石崎コンサで生かさない手はない。

 宇都宮さんの文章を札幌的にアレンジしよう。
「サッカーのスタイルに善悪はなく、美醜の価値観もクラブや時代によって大きく異なる」
という考え方はどうだろう。
クラブには、どういうチームを目指したいかというフロント・チーム・サポーターの目標、財政事情、戦力等が含まれる。
美醜の価値観にしても、流れから取る得点それも波状攻撃を繰り返して取るのも、CKからのこぼれ球を泥臭く押し込むのも1点は1点でしょということ。パスが繋がらず2点目が取れないなら、最低1点はCKなりFKで取らねば。今季のコンサでPAで倒されてFKというシーンはあったかい?CKからズドンという場面はあったかい?
攻撃的を標榜するなら平均2点は取らねば。

(2)ポゼッションさえ高めていればおのずと勝利できるといった悪しき誤解がまん延し、誰もがスペインやバルセロナを「あるべき姿」として追い求める
そのまんま2009-2010石崎コンサの志向であるが、石さんはさすがに今の戦績では「おのずと勝利できる」とは思っていないだろう。この先ブレずに貫くか、戦術にアレンジを加えるかは注目点だ。すでに戦術がブレだしてるような気もしないでもないが。

 (1)の二元論ではコンサの強化はいつまでたってもままならない。
サポーター(客)の好みでクラブの目指す方向性が固まるわけもない。
(2)のサッカーでJ2の12位に甘んじているのは「得点力不足」からである。得点力不足で勝つなら「1-0」サッカーを目指すべきなのにそれをやらない。なぜ「1-0」サッカーをしないのか、何にがんじがらめになっているのかというと、おそらく「あるべき姿」にとらわれているからではないのか。ここのジレンマに半分理解しつつも半分諦念(苦笑)
いずれにしても選手側から「何か」を変えていかない限り、10位以内ですら難しい状況は変わらないだろう。その「何か」を見たくてフロンターレ戦に足を運ぶんじゃ。懲りないのぉ。

 攻撃的守備的どっちが正しい(正しかった)という議論はあまり意味が無い。おそらくどっちに偏ってもダメなんである。三浦コンサでJ1最下位に終わったのは、持ち前の「守備的要素」に「攻撃的要素」を加えられなかったからだ。ダヴィの相棒がノナトではどうしようもない。補強した守備要員もあまりぱっとせず結局中途半端になり「肉でも魚でもないサッカー」で終わったのだから、クラブの財力の範囲内での戦力と戦術のバランスに誤りがあったということだ。三上部長が三浦さんに続投要請したのは、クラブの方向性を極端に軌道修正したくないことを示唆していた。

 J2に戻ってからは「守備的要素」まで否定してしまったかのような失点の増加。過度なポゼッションでパスワークを重視するあまり遅攻になる上、パスミス多発。相手カウンターの餌食になるのを恐れるあまり横パスやバックパス。それが「逃げの姿勢」に見えてしまい観客のイライラが募るという悪循環。実際これに関する野次はものすごく多い。バックパスがビルドアップの起点になれば誰も文句は言わないのだが、パスコースを相手に見透かされ攻撃の芽を摘まれる繰り返しだ。柳下時代の失敗を全く教訓にできていない。大事なのはポゼッションの時間帯を長くすることではなく、枠内シュート回数を増やしゴールすることではないのか?これが目下一番の課題である。

 今年のキャンプ、開幕戦、そして先日の函館。
中盤の要・ダブルボランチは「上里と宮澤」だった。これは石崎監督の「あるべき姿」の象徴である。具体的に言えば「2-1」で勝つサッカーだ。現実は1試合1点止まりで中途半端な印象である。セットプレーでも点が取れずせっかくのCKもワクワク感が全くない。
 もしクラブが石さんの「あるべき姿」を今のまま推し進めるのであれば、両サイドバックとトップ下、FWにも守備的負担をかけなくてはバランスが取れない。代表では俊輔中心のパスサッカーは選手ミーティングで否定され、相手を追い回して走力で負けないカウンターサッカーを選んだ。2人3人で挟みうちにしてでもボールを奪おうとする。その結果、全員の総ランニング距離はニッポンが相手を上回った。勝つためにどうしたらいいか選手達が出した結論だ。

 コンサも選手ミーティングで方向性を変えて行ったらいい。監督の戦術をベースに「どうやったら勝てるか」というアレンジを加えて欲しい。例えば、芳賀は上里のFKを蹴れないがが、上里は芳賀の走りを真似できるはず。何かが変わらないとコンサはずっと勝てない。
「負けないサッカー」は石さんの今までの成果だ。これからはどうやったら勝つのか、それを選手の自主性で見せて欲しい。もちろん、守備的とか攻撃的とかそんな問題で片付けるのではなく、今のメンバーで勝つためにベストな方法を模索するのだ。
引き分け地獄からどうやって抜け出すのか。まずは26日のフロンターレ戦のメンバーと戦術に注目してみたい。

 ポゼッションさえ高めていればおのずと勝利できるといった悪しき誤解 
が「誤解じゃないんだ!J2で3位に入れるんだ」というのを試合で証明していかないと、来年の石崎3年目は無いかもしれない。将来J1定着するための「攻撃的サッカー」&「ポゼッションサッカー」が目標なら、まずJ1昇格のための「攻撃的サッカー」&「ポゼッションサッカー」が確立されるべきだ。昇格しないことには先に進めないのだから。その辺りは現有戦力との整合性という観点から厳しく細かく見ていきたいと思う。自分なりの攻撃的サッカーの定義は「ボールポゼッションの割合の高さ」よりも「ペナルティエリアまでスピーディーに運びシュートを打つ回数」で相手に勝ることである。

 浮上の可能性はまだある。
一つはお手本がチーム内にいること。運動量の芳賀、ボール奪取力が優れた藤山。この二人の良い部分を上里と宮澤が学び取り入れればいいのだ。中盤はキツイ。だが中盤の立て直しなくしてコンサの浮上はあり得ない。攻守に強いダブルボランチが完成した時、キリノも内村も古田も活きてくるのではないか。
二つ目は、昇格圏の3位までどこまで近付けるかと言うモチベーションだ。選手もサポーターも数値目標があった方が張り合いがあるというもの。勝ち点も観客動員も下を向いて諦めていたら伸びるわけない。攻撃的サッカーで勝てると証明してみせることだ。勝てて初めて「面白いサッカー」と世間から認められるのだ。ドローでは絶対に認めてもらえない。函館の失敗を無駄にしないでほしい。中山ゴン、近藤、ヒロ西嶋には今まで以上に「勝利」にこだわる発言をして周りを鼓舞してもらいたい。

 勝ち始めたら、監督と選手の絆は強固なものになり、石崎3年目が見えてくるかもしれない。
日経の武智さんのコラムの「マラドーナ監督を見てつくづく思う」に石崎コンサを重ねる。
石さんは戦略家・戦術家としては正直「?」だ。逆に石さんの強みはフロント、選手、サポーター達に慕われてきたこと。勝ち続ければきっと風向きが変わる。フロンターレ戦はただの練習試合ではないと肝に銘じてほしい。

posted by odo |15:06 | W杯 | コメント(0) | トラックバック(0)