2007年01月04日
三浦俊也監督研究 1
12月30日付「日刊スポーツ」と1月1日付「道新スポーツ」より。 【プロフィール】 三浦 俊也(みうら としや) 1963年(昭和38年)7月16日 http://ja.wikipedia.org/wiki/1963%E5%B9%B4 (ウィキペディア:1963年) ダウンタウン世代である 岩手県釜石市生まれ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%9C%E7%9F%B3%E5%B8%82 (ウィキペディア:釜石市) リアス式海岸で有名 血液型 O かに座のO型。占いに興味のある方は是非 172センチ、62キロ。 甲子小4年からサッカーを始める。 釜石南高校へ進学。 http://www2.iwate-ed.jp/kas-h/ 岩手県立釜石南高から駒大へ。 http://www.komazawa-u.ac.jp/index.php 関係ないが、駒大は今年の箱根駅伝では総合7位だった。 コマトマの活躍も恐らく嬉しかったのではないだろうか。 選手時代は無名で、卒業後は岩手大学に1年間通い、体育教員免許取得。 http://www.iwate-u.ac.jp/ 地元の養護学校に勤務。 サッカーへの夢をあきらめ切れず、27才でケルンスポーツ大学にコーチ留学。 ドイツ国立ケルンスポーツ大学 http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jtoto/column/200411/at00003164.html (スポナビ 元川悦子:第1回 屈辱の2001年シーズン(1/2)大宮アルディージャ、J1昇格への軌跡) に当時の事が詳しく載っていた。 ・ドイツサッカーの権威ともいえるケルンスポーツ大学 ・「ある時、ドイツに40年以上も続く体系的な指導者ライセンス制度があり、資格を取ったコーチが働く環境があることも知った。それを聞いて、居ても立ってもいられない気持ちになったんだよね」 ・渡独当初は右も左も分からず、言葉も満足に喋れない日々 ・金銭的にも厳しい暮らしを強いられた ・持ち前の意思の強さでドイツ語を体得 ・5年半にわたってコーチ理論を学び、ドイツA級ライセンスも取得 1996年(コンサ誕生年)、日本サッカー協会が改革した新制度のS級ライセンスを1期生兼通訳として受講。 「自分はJリーグの監督になりたい」 1997年、JFLブランメル仙台のコーチ 1998年、JFL水戸の監督。8勝22敗、14位。 1999年、大宮のコーチ。ピム監督からオランダスタイルを学ぶ。 2000-2001年、大宮の監督。 2004-2006年、大宮の監督。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3 (ウィキペディア:大宮アルディージャ) 2000年J2・・・ 23勝1分16敗、4位。 2001年J2・・・ 26勝6分12敗、5位。 2004年J2・・・ 26勝9分 9敗、2位、J1昇格! 2005年J1・・・ 12勝5分17敗、13位、J1残留 2006年J1・・・ 13勝5分16敗、12位、J1残留 J1通算・・・ 25勝10分33敗。 J2通算・・・ 75勝16分37敗。 趣味:サウナ 家族:妻、長男 【戦術・性格他】 ・守備重視の理論家(ニッカン) ・大宮では「4-4-2」を採用 ・岡田武史監督に助言を求められるほどの「4バック信奉者」 ・選手選考は守備を念頭におく ・大宮サポから「面白くないサッカー」とも揶揄された ・システム、練習メニュー等は変えない頑固者 ・試合2日前からはセットプレーの守備確認のため非公開練習 ・試合時はスーツを着用して采配 ・毎日7~10キロのランニングを欠かさない ・義理堅い ・筋を通す熱血漢(ニッカン) ・理論家であり自信家(道スポ) ・反骨精神貫く努力の男(道スポ) ・オランダ流「フラット4-4」 ・ピッチで熱く燃える闘将(道スポ) ・J1スナイパー(道スポ) ・三浦サッカーの本流にあるのは守備 ・人に付くより、4バックのラインを上下して等間隔を守る ・決められたエリアを守る ・2004年は第2クールまでオランダ流ポゼッションサッカーにこだわる ・が、勝ち星が伸びず6月に方向転換し「勝つサッカー」に徹した ・途中補強も効果的で最後は13連勝で2位を確保し昇格 ・オランダスタイルは三浦サッカーの生命線 ・だが理想だけにこだわらぬ、現実的な面もある ・「柔軟性」(道スポ) 就任記者会見で三浦監督が何を語ってくれるか、非常に楽しみにしている。
posted by (oDo) |06:13 | 三浦俊也監督 | コメント(0) | トラックバック(0)