2015年12月06日
現役引退のお知らせ(札幌・岐阜)
期限付きの移籍中に引退というケースはあまりない。 今後もありうるパターンなので保存しておきたい。 スナマコにとっては最後に岐阜所属選手の立場からJ2を見渡せた事は 今後の指導者人生にとって大きな財産になるものと考える。 サッカー選手としての稼働期間はスナクラスですら20年。 野々村社長がよく言うように引退したり退団した後も後進の育成などで サッカー界で食べていけるような環境づくりをしていく事が重要だ。 最後にモノをいうのはJ内外でのネットワークづくりじゃないかと思う。 その意味でラモス監督のオファーに応えたのは悪くなかったのではないか、 などと考えながら、両クラブHP向けのコメントを読んだ。
□コメント 2015年シーズンをもって引退する事になりました。 怪我明けでなかなか試合に絡む事が出来なかった自分に、ラモス瑠偉監督が声をかけてくださり、素晴らしい仲間達や情熱あるファン・サポーターの方々、FC岐阜を応援してくれるスポンサーの方々と戦えた事はプロサッカー選手として素晴らしい経験でしたし、人としても得るものがたくさんありました。 ラモス監督はじめ、スタジアムに足を運んで頂いたファン・サポーターの皆さんの前で、期待していただいた活躍や結果を残せなかった事は自分自身悔しいですし、申し訳なく思っています。 FC岐阜に移籍させて頂き改めて思った事は、このチームは残留争いをするチームではないという事です。技術の高い選手、将来が楽しみな若い選手もいます。もっともっと勝てるチームになるはずです。 来年以降FC岐阜のJリーグでのさらなる活躍と成功を心から祈ってます。 プロサッカー選手として20年の最後にFC岐阜でプレーできた事を、ラモス監督、チームメイト、そしてFC岐阜に関わる全ての人に感謝しています。素晴らしい経験をありがとうございました! http://www.fc-gifu.com/information/11521(岐阜公式)
砂川選手コメント 『今シーズン限りで、プロサッカー選手を引退することになりました。 これだけコンサドーレ札幌というチームで長くプレーさせていただいて、今日、たくさんのサポーターのみなさんに囲まれてキャリアを終えられることを、すごく幸せに感じています。 去年から長い間リハビリが続き、プロサッカー選手としてできることが限られてきました。なかなか頭と体のギャップを埋めることができなくなり、このままプロサッカー選手を続けていくべきではないと思い、決断をしました。 長い間、皆様の声援で、なんとかこの年までやってこれました。今日この練習着を着てみて、改めて、コンサドーレが大好きだと感じています。 僕がいる間にJ1に定着することはできませんでしたが、来年は絶対昇格してくれると思いますので、ご声援をよろしくお願いします。 本当に長い間、ありがとうございました。』 http://www.consadole-sapporo.jp/news/20151210264/(札幌公式)
プロサッカー選手 というのがキーワードだ。
試合に出ているだけではプロではない。
試合で観客に何かを見せてナンボ。
…そんなメッセージを強く感じる。
特に若フクロウに対して「身体が動くうちにもっと、いろいろチャレンジしてみろ」
と言いたいように感じる。
posted by odo5312 |11:12 | Makoto SUNAKAWA | コメント(0) | トラックバック(0)
スポンサーリンク
スポンサーリンク