2010年09月15日
ユースホステルと鉄ちゃんの華麗なる関係2
過去を振り返って未来を考えるために書くんやけど、20数年前の北海道旅行を今、振り返ってるんやけど、齢四十を超えると記憶が薄れていくのう。それはそれで仕方ないんやけどな。 鉄ちゃんをしながらユースホステルを泊まって行ったが、10日ほど北海道旅行しても3日は車中泊で、急行まりも、同利尻、同大雪、同はまなす、快速ミッドナイトが宿に。はまなすを除いてなくなってしまったのは悔やまれるところ。 それに行き帰りはブルートレイン北斗星のソロが定番、ひと月前の同日朝10時に小田原、鴨宮、早川などに出かけて争奪戦を制したのが昨日のよう(笑) 一回、今も健在ブルートレイン武蔵丸もとい【あけぼの】に帰りに青森から上野まで乗ってB寝台を満喫したことも さてユースホステルを鉄ちゃんしながら利用したが、札幌駅近くの札幌ハウスYHは駅に近いだけで施設はボロかった。また稚内モシリパYHも駅に近いが、ぎゅうぎゅうに詰められた印象が強い。 しかし、もうなくなってしまったが、紋別の○○の宿YHは夜遅く(といっても19時過ぎ)タクシーでいって周囲が暗闇でわかんなかったんだけど、朝出発時に景色が良かったこと、良かったこと。メシもうまかった。で、道☆麗アウェイ画像担当Kurumiさんが紋別出身なんで、その話をしたらそこの看板娘だということがわかり、世間は狭い!とビックリですわ(笑) 写真はKurumiさん提供。 現在の風景、冬になると流氷がびっしりだとか。 紋別も名寄本線が健在の頃は、何回も通ったけど、もうなくなって行く機会ってもうないやろ? 新婚旅行で北海道旅行した時も時間の関係で行かなかったのが悔やまれる? 流氷と言えば、平成元年か2年の冬に釧網本線北浜駅で流氷を見ようと思ったら、思いのほか暖冬で流氷が沖に帰り、残骸だけだったのを思い出す。また原生花園駅に6月に行ったら観光客でいっぱいで、冬の閑散さが嘘のよう。そばの商店では結構、そこでしか手に入らんもんを置いてて、荷物になるぐらい買ったことも。 そこへ行く前に道路上で牛に囲まれたことも(笑) 何かユースホステルの話から脱線してしもうたが、元に戻す。 さて鉄ちゃんとユースホステルの華麗なる関係を論じてきたが、鉄ちゃんとは関係ない行程を行ったことがあり、それは最北端の島、礼文島。ユースホステラーの間では、礼文島の【愛とロマンの8時間コース約20キロ超】を歩かないと極めてないと言った風潮があったが、オレは礼文島に渡って釣りでもしようか~というノリで、88年8月3日に礼文島へ渡った。泊まったのは今は無き礼文YH。礼文島で有名なのはユース○ち○いが集まる某ユースであるが、敢えてそれは避け、ノーマルな方に 一泊のつもりだったんやけど、その日のミーティングで、8時間コースを踏破した連中の英雄ぶりをみるうちにやる気がわいて、行く気満々になり、結局9人(野郎5人女性4人)のチームになり、リーダーはオレ! 注意事項は道を間違えるととんでもないことになるから注意とペースはゆっくりでと リーダーはユースに連絡入れる係でもあった(笑) 今考えるとユースに責任はないんだから勝手に行けばいいんですが 礼文ユースは島の南香深にあり翌朝7時のバスで最北限の地スコトン岬まで行き、そこから島の西側を南下するコース。8時過ぎに着き、その某ユースからも結構な人数来てたが、とりあえずスタート。 まずは起伏の激しい山道を2時間かけてゴロタ岬を通り西上泊へ到着。女性2名はここで終了で帰途につく。ここは海中公園建設予定地だったとこで、予定は未定で終わってしもうた(笑) こっからが正念場でひたすら歩いて昼食。ユース特製の弁当は300円ぐらいだったが、内容は忘れたわ(笑) 礼文岳(英語名オンリー礼文)は高くない山たが、それを見つつ、砂すべりを下って3分の2を消化したのが、15時過ぎ。宇遠内からは海沿いを歩くが、ここの休憩所の麦茶コップ一杯50円はボリ過ぎ。麦茶ババアと地元では呼んでたらしい。 なんやかんやで当時のゴール地蔵岩に着いたのが、18時過ぎ。10時間コースになってしもうたが、メンバーみんな、充実した笑顔でカメラに収まる。写真は家にまだある。 ユースの迎えが来て、ユースへ帰ったらもう英雄扱い。 他のホステラーからは質問攻めですわ(笑) このチーム、その後年賀状のやりとりとか続いたが、結局今でも続いてるのは1人。でもすごいですわ(笑) 若い頃はこういうことをして、成長したもんで、今となってはこのコースを歩けるわけがない。 でも行ってみたい気はする。 ウニ丼食いたかったなあ~ また続きを書く、乞う御期待!
posted by ホテルニュー越谷 |19:50 | 鉄道関係 | トラックバック(0)