コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2006年01月08日

どんな応援がしたいですか

1月1日の北海道新聞の記事でヤンツーさんが「(サポは選手を)もっとたたいてくれたら,と思います」と言いました。

確かに札幌のサポは優しいし時には「甘い」とまで言われます。

だけど「もっとたたく」っていうのは具体的にはどういうことなのか,単なる野次ならすでにありますが,私はあまり真似しようとは思いません。だって,あれは横で応援している人の気分を害するだけであり,だから,きっと選手にとってもあまり気分の良いものではないだろうから。少なくとも選手のやる気を引き出すことがない野次ならしないほうがマシだと思います。

私はそれ以前の問題として,札幌サポは応援にメリハリをつけることがまだ上手くできるようになっていないと思うのです。試合の流れを左右するようなミスがあってチームががっくり来たとき,逆に突然選手もボールもいきいきと動いて大量得点の匂いがしてきたとき,そのような“空気”を感ずる瞬間というものがあると思うのですが。せめて応援コールを変えたり歌う曲を変えるだけでも十分にメリハリはつけられると思うのですがねぇ。

私ですか? 私は,そう思いながらも,しがないゴル裏一住人としてのコールリーダーの指示に従って声を出しているだけなんです。ただ,周りの人がへたり込んで声を出すのをやめてしまっても自分だけは叫び続けるだけがとりえで,これはどういようもない性のようなものですかねえ。ゴル裏の応援を変えていくてめにはどうしたら良いのでしょうか。


posted by ○た |01:14 | 応援に行こう! | コメント(0) | トラックバック(1)

2006年01月04日

年賀状

カミさんと買い物をして帰ってきたら,うちのアパートの前に郵便局の単車が停まっていた。こんな時間(午後4時半)に来るんだから普通の配達でなくどこかの家に速達か何かかなと思っていたらうちにも来ました。何でも「年賀状の誤配の調査」だそうで,全戸廻っているようでした。ご苦労様です,大変ですねぇ。

昔は“数え年”だったから正月が来るとみんな揃って一つ年をとり,「また一つ年をとりました」などといっていたのかも知れませんが,私の世代では当然そのような経験はありません。ありませんが,それでも年賀状を眺めていると,自分と大して年の変わらない方が「息子が今度大学」とか自分よりずっと若い人のお子さんが「今年から小学校です」などと書かれてあるのを見ると,さすがに「自分も年をとったなあ」という気分になります。

自分に子供がいないせいもあると思うのですが,結婚してから後,生活に劇的な変化というものがないので「自分はあまり変わっていないのに年令だけ重ねてしまった」という思いもしてきて少しさびしくもあります。「無為に年をとった」とまでは卑下しませんが。それに比べて子供のいる人というのは(私には分からない苦労もいっぱいあるんでしょうが),お子さんの成長にしたがって何年かごとにイベントがあるのでそれなりにメリハリがあるんですよね。年賀状にもそういう生活感がにじみ出ていて。

ちょっとしんみりモードに入りそうになりましたが,気を取り直して,後輩から来た年賀メールに「去年結婚しました」と書いてありました。私が就職して数年後から3年ほど非常勤講師でうちにも来てもらったことのある彼。だから私とそんなに年は変わらない(彼に言わせれば「い~え,5つも違います!」となるのだが)。もともと同じ分野ではないので,彼が金沢の大学に行ってからのメールのやりとりは数学の話題よりも趣味のマンガの話が8割以上だった。結婚相手は彼の趣味に理解はあるのかどうか知らないが,それはともかく

「とうとう結婚したか。おめでとう!」


posted by ○た |16:42 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年01月02日

ココロに残る行けなかった試合

去年(もう「去年」なんですねぇ)の札幌で行われたホームゲームはすべて行きました。それらの試合ではすべてにせドールズにも参加しました。もちろんあの事件の後の厚別の水戸戦も(ちょっと遅刻気味だったけど)。ゴール裏の半分くらいがへたり込んだ試合(いっぱいあるけど(^^;)のときにも最後まで声を出し続けました。だから2005シーズンで自分が観に行った試合で後悔している試合はありません。

でも第2クール最終戦,室蘭に行けなかったのはものすごく後悔しています。直前に同僚が「私のの車で行きましょう」と誘ってくれたのに。実家のほうの用事とかがあって結局「ありがとう,だけどゴメン」ということになってしまったのだ。その日の試合の時間は実家の用事をこなしながら,でも,車に乗っているときにはずっとラジオの試合中継を聞いていた。その試合は0-0で前半を折り返し,上手くすると勝てるかもという展開だったのですが,そこは王者サンガ。苦しみながらも貴重な1点を我がほうから奪い,そのまま逃げ切ったのでした。我がほうも最後は禁じ手である「ソダン大作戦」までやって流れを変えようとしたがそのまま試合終了。

常識的に考えれば,普通,サポの力で勝敗は決まらないのだけど,

「あれだけは僕が行かなかったせいじゃないか」

と思った。試合後,選手がサポに挨拶に来るとき,その誘ってくらた同僚が携帯で電話をくれて「今,選手たちが目の前に来るけど誰に一番声をかけたいですか?」と言うのですかさず「曽田」と言ったら,同僚が周りの人も慌てるくらいの(という風に携帯から伝わってきた)大声で「ソダー,ソダー,かっこよかったぞー」と叫んでくれた。それを聞きながら涙が出た。本当に「持つべき者は友達だ」と思った。それはそれとして,あの試合に関しては

「勝っても不思議じゃない試合なのでは?」

という思いはずっとある。いや,そんな試合はたくさんあるのだけれど,行っていないからこそその思いが消えない,悔いが残る試合なのでした。


posted by ○た |00:23 | 応援に行こう! | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年01月01日

コウタが大宮へ

播戸がガンバに行くのと連動しているのでしょうか?トコロテン方式?


posted by ○た |23:47 | 他チーム | コメント(0) | トラックバック(0)