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2008年11月10日

応援に対する反省と感想

今、
札幌のゴール裏では応援自粛という「手段」で、
チームを、クラブを変えようという動きがあります。

もちろんそれは、応援という場や行為を手段にしたものであって、
手段は応援でなくても良かったのだと思います。
ただ、応援が一番伝わり易い事から選ばれたに過ぎないのでしょう。


けれども、今回の出来事は
応援そのものを考える良い機会にもなっているのではないかと思います。


 応援


多くの人は、応援は個人の自由だと言います。
もちろんその通りで、
応援にもいろいろなスタイルがあります。

でも、
「スタジアムでの応援」
ということに限れば、
選手の後押しという目的を否定する人はいないでしょう。
勝利という目的を否定する人はいないでしょう。


では、なぜ今の札幌は、
ゴール裏全体、スタジアム全体が、
ただ1つの目的に向かった応援ができないのでしょう。

もちろん答えは1つではないと思います。

長くコンサドーレを応援してきた人にはその人なりの思いが、

最近コンサドーレの応援を始めた人にはその人なりの思いが、

SB席の人、

SA席の人、

SやSS席の人、

それぞれに思いがあることでしょう。


問題なのはそれを、
「応援は個人の自由」
と言う言葉を盾にして、目を逸らしてきたことではないでしょうか。
そして、サポーター同士の歩み寄りの姿勢や、尊敬、敬意といったものが、
見失われていることではないでしょうか。

もちろん、「戦いの場」だという思いは否定をしませんが、
そういった考え方に全ての人が共感するとは限りません。

では、共感できない人たちをどのように応援に取り込むか。
そこの工夫が不足していると思うのです。

一歩二歩階段を降りて歩み寄る。
老若男女いろいろな人の声に耳を傾ける。

全ての人が参加できる応援スタイルをつくる、
応援そのものが楽しいと思えるものをつくる。

多くの人に「苦痛」や「辛さ」を強いても決して長続きしません。
長続きしないどころか受け入れられません。

全体で応援するには、全体が受け入れられる形に変えていく必要があると思うのです。

クラブ、チーム、サポーターが1つになる前に、
サポーターそのものが1つになること。
そのためには、
発信するだけではなく、
自ら受信することが必要なのではないでしょうか。
それこそが、スタート地点のような気がします。

これが、
僕が1年間ゴール裏中心部で戦ってきたスタジアムの応援に対する反省と感想です。

posted by kabao |22:48 | Consadole sapporo | コメント(2) | トラックバック(0)