2008年07月15日
コンサドーレ札幌万歳 10年の歩み(5) 暗黒
やや「コンサドーレ札幌万歳」の歴史、とは離れますが、「コンササポをやってきて今までで一番辛かったのはいつか?」と聞かれれば、私は迷わず2003年、とりわけ、2003年8月以降の数カ月、を挙げます。
そりゃ、1998.12.5の記憶は一生消えません
1年でのJ1復活を果たせず、コータを失った1999年も辛かったです
決してサポが望んでいたわけではない大言壮語を吐く監督の下、チームがグダグダになり、あっという間にJ2行きを決めた2002年もしんどかったです
2004年も、J1経験者としては初のJ2最下位という屈辱も味わいました。その後、J2最下位をかつて経験した甲府と横浜FCがともにJ1昇格を果たし、J1経験者でJ2最下位も経験しているチームは3つとなりましたけれど、どう考えてもJ2最下位→J1、は美談、ですよね(^^;;; 私たちの痛みとは全然別のもんですよ
で、その甲府のJ1昇格につながった2005年のロスタイム3失点も、2006年の10周年サンクスマッチでのJ1昇格消滅も、そして今年も、決して辛くなかった、といえば嘘になります。
コンササポやってりゃ、辛いことの連続ですよ。いつも。
でも、コンサが勝った試合にさえ、素直に喜べなかった、あの2003年の終わりごろの痛み本当に耐え難いものがありました
posted by kaz8 |08:55 |
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2008年07月14日
コンサドーレ札幌万歳 10年の歩み(4) 最強
まだ血気盛んだったあの頃、「秋田在住とはいえ、日本一凄いコンサ系サイトを作ってやるぞ」という意気込みだけは十分抱いていました。
…その後は敗退と妥協の繰り返しで撤退に撤退を重ね、今に至るわけですが(^^;;;
何を持ってNo.1コンサ系サイトとするか、それは色々議論があるでしょう。ただ、少なくとも、コンサ黎明期から2002年ごろまで、コンサ系サイトでNo.1と言えばCONSA de CONSAであろう、ということは多くのコンササポの意見が一致するところだとは思います。さすがに最近は更新停止状態ですが、当時のアーカイブスは今でもとても貴重なものです。
あと、ちょっと違った個性はあったものの、全盛期には毎日短いコメントがアップされ、それを見ているだけで頭の整理になったという意味で貴重だったことと、今でもおそらく、掲示板とチャットはかなり活用されているConsadole SAPPORO Informationも、コンサの歴史を語る上で外せないサイトです。
ほかにも、データ集めならConsadole Date Bank、悪食を語らせたら、いやもとい、旗振りに関することなら微風旗振記、文章で感動を味わいたいなら笹田さんのブログ(コラムもあるし、写真もいいよ)、辛い状況を笑い飛ばしたいときにはchooさんのネタ文章…など、多種多様なコンサ系サイトがございます。ま、このあたりが、No.1サイト候補、っつーところだと思いますね。
そんな中、自分ごときがそれらを凌駕するサイトを作るなんて…無理でした。
じゃあ、どうするか。悩んだ末に出した結論は
「リンク集だけは立派にしよう」
というものでした。
posted by kaz8 |00:24 |
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2008年07月13日
北海道で活動のタレント
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20080713-383061.html
下世話な言い方であれですが、現時点でこの人が「はめられた」のか、単に「はめた」だけなのかはよく分かりません。
とりあえず否認してる、とのことですし(事実関係を否認しているのか、犯意を否認しているのかはよく分からないが。17歳と19歳を見た目で見分けるのって、そんな簡単なことでもないでしょうし)
参考までに条例ってこんな感じです
ただ、この見出しが示すとおり、とりわけ道外に住んでいると、こういう情報には疎くなります。この騒ぎが起きて初めて、そういうタレントがいたんだ、と気付く有様なのは、何となく物悲しさを感じます
沖縄からわんさかわんさか力のあるアーティストが飛び出してくる昨今、北海道からだってもっといっぱい出て来てほしい、と願うこと、が、悪いことじゃないですよね?
posted by kaz8 |08:06 |
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2008年07月13日
コンサドーレ札幌万歳 10年の歩み(3) 日記
今でこそ「ブログ」に驚く人間などほとんど誰もいなくなりました。
が、たとえそれば作成ソフトに頼りっきりであったとしても、ウェブサイトを作っていた人間にとって、それは衝撃的なものだったと思うのですよ。
(1)ページを作るという作業(文章を打つだけの作業より一手間も二手間もかかる)
(2)出来たデータを送信する作業
(3)送ったデータが正しく表示されるかを確認する作業
(4)間違っていた部分を作り直す作業
(5)以下、間違いがなくなるまで、(2)〜(4)を無限ループ
とまあ、ブログであれ何であれ、こういう作業を繰り返す必要があるわけですが、かつては(1)をやるためのソフト(たとえhtmlを自分で打ち込むとしたって、エディターは必要だった)と(2)をやるためのソフトが必要で、それぞれの設定がなかなか曲者な上に、案外面倒だったのが(2)をやるためのデータ管理。具体的に言えば、どのコンテンツのどの内容に、どれだけのページを作るかを考え、実際にページを作り、それを有意にリンクする、という作業が必要でした。特にその有意にリンクする、という作業の面倒くさいこと面倒くさいこと。
それが、まあ当時はまだブログとは言わず、レンタル日記サービスと言ってはいましたが、やっていることは今とさほど変わりはなく(トラックバックとか記事ごとのコメントとかRSSとか色々増えましたけど)、ネットにつなげられる環境があればどこでも、あるいは携帯電話からの更新さえもできてしまうようになったわけです。その喜びたるや大きなものでした
posted by kaz8 |00:58 |
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2008年07月12日
コンサドーレ札幌万歳 10年の歩み(2) 試練
初期の頃は何も知識がなく、アクセス数も微々たるものではありましたが、それでも、ただ作っている、それだけでも十分楽しいものでした。
開設当初、「半年で3000HITもあれば上出来だなあ」と思っていたものも、まあ何とか達成できました(ま、カウンターの仕様や性能が、今のおひさるブログとはかなり違っているので単純に比較はできませんが)
ただ、作っている段階でもう何となく予感はしていましたが、1999年春から自分の職場環境が激変しました。転勤です。行き先は大曲支店。
仕事が物凄く忙しくなる、ということもありますが(実際忙しかったです)それ以上に、例え1日数分であっても、ホームページの更新に時間をかけることさえ、あまり好ましい状況ではありませんでした。開設から半年。自分のホームページは、世間的、というよりはむしろカイシャ内の方で広く知れ渡ることになっておりましたから。
なので、転勤から1カ月余り、「8月7日、晴れ」は更新停止、という形を取ることになりました。掲示板を閉じ、コンテンツ更新も止め、しばらくの間(数年ほど)放置したまま、ということになっておりました
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物理的な忙しさも問題でしたが、それ以上に、当時のインターネット環境にも不安を抱えていました。
この10年でネットをめぐる環境は激変しました。今でこそ、日本の大半の地域では光ファイバー、CATV、もしくはADSLで高速回線が定額制で使い放題、という状況にありますが、当時は、ダイアルアップによる従量制がアタリマエの時代。つまり、ネットを使えば使うほど、NTTの電話料金がかかりまくる、という状況にありました。
もちろん、当時もテレホーダイという、深夜のみ定額で使い放題というサービスはありました…が、そうは言っても、それも、秋田市に向けて市外通話しているのと、大曲の市内通話では料金にも違いがあったことから、当時ホームページやネット接続などに使っていたインターリンクだけでなく、so-netにも加入するという措置もとっておりました。
ま、実はその後、おばこネットという大曲市にあるローカルプロバイダーにも加入するんですけどね。so-netはさらなるこの先の転勤にも備えた措置にすぎず、結局大曲市にはプロバイダーはなかったですから。
で、そんなこんなで、この期間、更新らしきことはほとんどできていない状態でした
posted by kaz8 |21:34 |
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