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2012年02月29日

磐田を喰らう

いつのまにか開幕はもう来週で、あと10日なんですね。
どうも、まだまだ先という気持ちのままなんですが。

ジュビロを喰らうには、ギョーザやウナギも悪くありませんが、磐田ならではとなると、地元で盛んに食されているトンソクが最適なのではないかと思いました。

トンソクは、もう何十年も食べていません。大人になってからは食べた記憶がありません。(石垣島に行ったときに食べただろうか・・)

どこに行けば売っているかと心配しましたが、士別のマックスバリューにありました。
冷凍の肉などを売っているコーナーなら、たいていのスーパーにあるようです。
普段、そういうコーナーには行かないので気づきませんでした。
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398円だったかな。 ボイルされているので、解凍するだけでここまま食べることができます。
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スライスしてみました。
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コチジャンが付属してますが、ニンニク臭いこのタレは私のテイストではありません。 ポン酢+ユズコショウで食べました。
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思ったよりも美味しかったけど、私は鳥皮を茹でて細切りし、ポン酢+ユズコショウで食べる方が好きです。 鳥皮と違って肉が付いているから、こちらの方が良いという人もいるでしょうけど、ちょっと癖があります。 酢味噌の方が良いのかも。 豚骨の割合が多く、これを捨ててしまうのももったいないし、骨も使った料理を明日、紹介しますね。


posted by かもめ |19:51 | グルメ | コメント(2) |

2012年02月26日

野良の子猫

廃屋で生まれた猫。25年前の作品です。
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こちらは23年前の作品。
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後ろの猫は病気で子猫のうちに亡くなってしまいました。


posted by かもめ |18:01 | 動植物 | コメント(0) |

2012年02月25日

呉汁

今夜は呉汁を作りました。
みそ汁に大豆をすりつぶして入れるだけなので簡単です。
具はお好みで、
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市販の茹でた大豆を、
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すりつぶして、
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みそ汁に投入。
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身体が温まるので寒い日は特に美味しく感じます。


posted by かもめ |21:06 | グルメ | コメント(0) |

2012年02月24日

アイスランド人の名前

アイスランド選手の名前が全員、○○○ソンだったので、なぜなのか調べてみたら、こういうわけでした。

世界には夫婦別姓の国と夫婦同姓の国の2つしかないと思ったら(混在もあるけど)、夫婦無姓の国があるとは知りませんでした。

posted by かもめ |21:38 | その他・分類不能 | コメント(5) |

2012年02月24日

新しいパソコン買いました

パソコンが不調になりました。
日本語入力ができないし、メールやフォルダーを1つ範囲指定しようとすると、すべてのメールやフォルダーが反転するありさまで、復元も工場出荷状態へ戻すことも不能で、2日間格闘したけど直らなくて仕方なく新しいパソコンを注文しました。
完全にダメだと思ったのに、注文したらなぜか自然と直ってしまいました。
喜んで良いのか・・ 複雑な心境。
古いのは旭川の家用にして、新しいのは士別で使うことにし、注文はキャンセルはしませんでした。
毎週、士別旭川間をパソコン持って移動するのが故障の原因だったかもしれませんし。

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私が買うパソコンはレノボ(旧IBM)にするしかありません。 マウスもタッチパッドも嫌なんです。 この赤いヘソ(ポインティングディバイス)でカーソル動かします。
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以前は東芝などもヘソ式パソコン出していたけど、今はレノボだけです。 文字入力する際、手の動線が少なくて楽なんですよ。 ネットサーフィンのときは片手が空くから右手でペンを持ちながらパソコン操作ができます。 マウスと違って利き手でない手でも楽に操作できるからです。 最初は少しの慣れが必要ですけどマウスほどではありません。 それにしても、初めてのウィンドウズ7なんですが、メーラーは慣れないし、10年前の一太郎は相性が悪く、最新の一太郎を買わないといけないので、まだインストールしてないから漢字変換がスムーズでないし、いや、漢字以前にカタカナ変換や半角スペースの入れ方わからないし、なれないパソコンは使いにくいものですね。


posted by かもめ |18:46 | その他・分類不能 | コメント(0) |

2012年02月22日

猫の日

この猫動画は凄いですよ。
猫が自分でグラサンするのは爆笑ですね。ピンポン猫も面白いし。


23年前の写真ですが、手前は母・ボビー、左が父・ももちゃん、右は娘・すもも。
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すももの妹のベッキーは子猫のとき、カーテンを登るのが好きでした。
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posted by かもめ |17:09 | 動植物 | コメント(0) |

2012年02月20日

昔いた猫

1989年の秋頃、我が家に1匹の猫が迷い込んできました。
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赤ん坊の顔の上に猫が乗って、赤ちゃんが窒息死することがあるので、首が座るまでは猫を乗せないで下さい。 きっとどこかで飼われている猫だと思って、近所の電柱に「迷い猫預かってます」の張り紙をしたりしました。 でも、1週間後に姿が見えなくなったので、飼い主のところへ戻ったのでしょう。 ちょっと残念な気もしたけど、戻らなければ飼い主が悲しむし、これでよかったのだと思います。


posted by かもめ |18:35 | 動植物 | コメント(0) |

2012年02月14日

昔の写真整理中

古いネガを整理しようと思ってフィルムスキャナーを買いました。
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7000円くらいしました。もっと安いのもあるのですが、信頼できるメーカーのを買いました。 23年前の写真です。大きい猫がお父さんで、子猫は娘3匹です。我が家で生まれました。 ベルリンの壁が崩壊した年で、長女もこの年に生まれました。
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お父さんは浜頓別に引っ越したら、浜頓別の家が嫌いなのか家出してしまいました。(その後近所で見かけて声をかけたのに逃げていった) 4歳の時です。 黒猫は3歳のときに交通事故で亡くなり、白虎は6歳のとき、大雪の日に帰ってこなくなり、虎は12歳で病死しました。 このスキャナー、ハーフサイズに対応してないので、トリミングしないといけないのが大きな欠点です。
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横浜にいたときの猫。26年前です。後ろの赤い猫茶碗は高崎駅の名物駅弁、だるま弁当の容器だと思います。


posted by かもめ |18:03 | 動植物 | コメント(2) |

2012年02月13日

初めて旭川の銀座商店街へ行きました。日本最北の銀座だそうです。
ここの核となる百貨店は三番館なんですが、以前は壁に大きな虎のイラストがあり、社長が阪神タイガースファンだとしか考えられません。
でも、先日行ったときは虎の絵がなくて、どうしたのかと思ったのですが、かわりにこんなものがありました。
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六甲おろしが聞けるようです。 エスカレーターで上がるとグッズを売っていました。
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ファイターズグッズもあり、もしかしてコンサグッズも・・ かすかな期待は裏切られてしまいました。
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「セはタイガース、パはファイターズを応援いています」と書かれていたんですが、「サッカーはコンサドーレを」も入っているといいのだけど。 我が家の虎。
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1頭足りないと思ったら、座布団にされていました。
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posted by かもめ |18:04 | 動植物 | コメント(0) |

2012年02月11日

帰国

1982年4月1日(木)、エイプリルフールですが、何事もなく宿で朝食。
イギリスは美味しいものがないと良く言われますが、「イギリスで美味しいものを食べたければ1日に3回、朝食を食べれば良い」と言われるように、朝食だけは充実しています。
ちなみに、そう言ったのはイギリス人(月と6ペンスを書いたサマセットモーム)ですから間違いありません (笑

宿は定年退職して家族で経営しているような感じで、ご主人が食事を運んでくれました。
紅茶を運んできて、コーンフレークスに牛乳を注いでくれました。
ほどなくしてベーコン&エッグスとイギリスらしくウェルダンのトーストが来ました。
サラダと、あと何か1品あったと思いますが思い出せません。
スープもあったかな? とにかく豪華でした。

宿はラッセルスクエア駅の近くなので、地下鉄ピカデリーライン1本でヒースロウまで行けますが、当時は各駅停車しかなくて1時間もかかるのですが、13:10発の飛行機のため宿をチェックアウトして、まっすぐ空港へ向かいました。

空港は当時IRAが活発にテロ活動をやっていたため、荷物検査とかは厳重でした。

ブリティッシュエアウェイズのジャンボ機で、アンカレッジが14:15着、成田は翌日の14:30着という具合に、ずっと昼間なのでオーロラは見えません。

それにしても成田までアンカレッジ経由は疲れます。
当時ブリティッシュエアウェイズのロンドン・成田便は週7往復あり、アンカレッジ経由(17時間20分)が4往復、モスクワ経由(14時間)が1往復、直行便(11時間30分)が2往復ありましたが、アンカレッジ経由が一番安かったです。

最近は少ないかも知れませんが、海外に行くと食事が合わなくて食欲がでないとか体重が減るという人が少なくなかったですが、私はそういうことはなかったのですが、さすがに帰国したら寿司を食べたいと思いましたね。

海外を旅すると、日本(日本人)の良い面、悪い面がよくわかって勉強になりました。

posted by かもめ |12:35 | 海外旅行 | コメント(8) |

2012年02月10日

ロンドンでショッピング

1982年3月31日(水)
まず、タワーブリッジに行きました。
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内部を見学できるのですが、もの凄い行列で諦めました。 女の子がいっぱい並んでいたから、ハイスクールの社会見学かも。 次に1年前にダイアナさんが結婚式を挙げたセントポール大聖堂へ。 近くのショップでは、ダイアナグッズが沢山ありました。 ダイアナさんの写真付きの缶に入った紅茶やボールペンなどを買いましたが、さすがに現存してません。 のどが渇いたので商店(コンビ二にあらず)で牛乳買って飲んだのですが、濃くて美味しかったです。 ジャージー種なのか、あるいはクリーム添加の加工乳なんでしょう。 ランチはヴィクトリア駅のセルフのレストラン。 ビーフシチューだと思って注文したら、ライスを付けるか聞かれました。 意外に思いながら付けてもらったのですが、口に入れて初めてカレーだとわかりました。 大きな肉の塊がごろごろ一杯入って黒かったので、てっきりシチューだと思ってしまいました。 とても美味しかったです。そういえばダイアナさんが一番好きな食べ物はCurry & Rice と言っていました。 レコード屋を覗いてみました。高校時代、クリフリチャードをよく聴いたので、「C」で探したのですが、見つかりません。すぐに理由がわかりました。 電話帳などと同じく、苗字で並べてあるのです。そりゃあそうですよね。 「R」のところにありました。LP盤を持って帰るのも大変だし、眺めただけ。 地下鉄駅のエスカレーターのステップが木製のがあって驚きました。 5年後にキングスクロス駅でエスカレーターが燃えて31人が犠牲になったため、木製エスカレーターはすべて金属製に置き換わっています。 雨ではないのにコウモリ傘を持ったイギリス紳士は、やっぱりいるものですね。昔の話だと思っていたんですが。 欧州最後の晩、宿はイギリスらしいB&Bにしました。 アットホームでよかったけど、お風呂はバスタブだけでシャワーがなくて戸惑いました。 せっけん(シャンプー洗剤)を十分流すのが難しいけど、不便だと思わないのかな。


posted by かもめ |19:37 | 海外旅行 | コメント(6) |

2012年02月09日

ウィンザー城とハンプトンコート宮殿

1982年3月30日(火)、ロンドンでレンタカーを借りました。
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事前に新潟の自動車運転免許試験場へ行って、国際運転免許証を発行してもらっておきました。 ヴィクトリア駅近くのレンタカー会社に行き、予約はしてなかったけどスムーズに借りることができましたが、私が泊まっているホテルへ電話して「ジャパニーズジェントルマンがそちらに泊まっていますか?」と、確認していました。外国人は要注意なんでしょう。連泊で、その晩も同じ宿に泊まることになっていたからよかったけど、そうでなければどうなったのか? デポジットを多く預けたのか? 料金はそんなに高くなかったと記憶していますが、22歳未満は保険料が高かったです。あと9日で22歳になるのに。 右ハンドル・左側通行なので楽でした。方向指示器は左側にありますが。 まずはロンドンから30kmくらいのウィンザーへ。ウィンザー城は駅のすぐそばなので、電車でも便利なんですが、外国で車を運転してみたかったのでレンタカーにしました。
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駐車場がわからなくて路上に駐車したら警官が通りかかり、「城にいくのか?」「ここは駐車禁止だよ」「罰金20ポンドだよ」「あっちに駐車場あるよ」と言われて駐車場に入れました。
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次にハンプトンコートパレスへ。
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宮殿はあまり記憶に残ってないのですが、庭園がとてもよかったです。日本でイングリッシュガーデンブームが起こる前でしたが、気に入りました。 庭を見ていると、急に爆音が聞こえて来ました。どこかで工事をやっているのだろうかと思って見渡しても何も見えなかったのですが、どんどん激しくなり、いったい何が起こったのかとだんだん不安が募ってきたんですが、空を見上げたら怪鳥が近づいてきたんです。 ヒースロウ空港から近く、離陸してすぐの低高度で真上とはいえ、ここまで騒音がひどいとは驚きました。 時間があまったのでオックスフォードまでドライブしました。
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駅は地味です。 町もこじんまりして落ち着いています。
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ロンドンに戻ったらこんな光景が。
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最後にガソリンを入れたのですが、初めてセルフを体験。 想定内の少しの戸惑いだけで無事、給油と支払い完了。 楽しい一日でした。


posted by かもめ |11:10 | 海外旅行 | コメント(0) |

2012年02月08日

ロンドンへ

1982年3月29日(月)、ダンケルクで船に乗ります。
ダンケルクは第二次大戦の激戦地ですが、夜明け前で、激戦が繰り広げられた海岸を見ることはできませんでした。  
あと、ダンケルクは1メートルの長さ(子午線の1/40000000)を求めるための測量を、こことバルセロナとの距離を測量で求めたことでも有名です。(バルセロナと同経度なので)

船は4:10に出帆し、2時間20分後のイギリス時間5:30にドーバーに着きます。
イギリス国鉄の船なのか、フランス国鉄の船なのか不明でしたが、青函連絡船くらいのサイズでした。
船内に免税店があり、酒などを買う人で賑わっていました。
ドーバーに着く前から、下船口に大勢の人が並んでいました。
並んでいたというより、船倉のような車両甲板のような広い場所に大勢がひしめきあっていました。
豪華客船だとは思ってなかったけど、難民ボートに近い状態に戸惑いました。
案の定、近くで立っていた10歳くらいの男の子が泣き出しました。父親と思われる人は、なだめるどころか、「男の子なんだからしっかりしなさい」というような感じで叱責して、余計その場の雰囲気が悪くなり、早く下船になることを願いました。
まだ暗く、ドーバーの白い海岸(崖)・ホワイトクリフを見ることはできませんでした。

下船後、ドーバー6:30発のイギリス国鉄でロンドン・ヴィクトリア駅へ。ヴィクトリアは8:10着のはずが、8:30くらいに着きました。さっそくイギリスらしいと妙に感心しました。
ドーバーで列車に乗った際、4人ボックス席に2人で座っていたら、高校生くらいの女の子2人が来て相席なりましたが、ちょっとしたらいなくなりました。他に空いている席を見つけたのでしょう。
怪しい日本人の隣が嫌だったということはないと思いたい (笑
その女の子、フランスなまりの英語だったみたいで、言葉自体はよくわからなかったけど、ボディランゲージで「空いてますか?」「どうぞ、空いていますよ」とのやりとりは容易にできました。

ロンドンに着いたらさっそく観光を開始。ロンドン交通博物館へ。
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大英博物館は入館無料でした
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小学生の団体がいて、どこから来たのか互いに聞いたりして楽しかったです。 英語が通じるのは凄くありがたいものです。 これは見逃さないようにと思ってました。触るなと書いてあるけど、触る人が多いのか、今はガラスケースに入ってます。
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ここは戦利品蒐集館という感じですが、まさにこれは戦利品ですね。
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高校時代、BBCの短波放送でビッグベンの鐘はよく聞きしたが、生のは初めてでしたが、17:15なので1回だけ「カ~ン」でした。
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毎正時には学校のチャイムでおなじみのメロディー「キンコンカンコン」が聞けます。


posted by かもめ |17:16 | 海外旅行 | コメント(0) |

2012年02月07日

ダンケルクへ

1982年3月28日(日)
アムステルダムの怪しい宿をチェックアウトし、アムステルダム中央駅へ。
東京駅はアムステルダム中央駅を真似して設計したと言われていたのですが、現在ではその説は否定されています。でも、アムステルダム中央駅と東京駅は姉妹駅になっています。

ところで、昨日書いた、日本人バックパッカーからの聞いた話では、浦河で地震があって40人が亡くなったとか。たしかに北海道では観測史上初めて震度6を記録し、167人が負傷しましたが、死者は実際には発生しなかったので、帰国してデマの恐ろしさがわかりました。

アムステルダムを朝9時前に出るTEE、エトワール・デュ・ノールでパリまで移動するつもりで駅に行きました。
パリ行きの列車がホームに入線していたんですが、TEEとは書いていないし、TEEにしては少々老朽化した車両でした。
この列車は1時間前に出発するはずのパリ行の列車なのか?
フランスはまだサマータイムに入ってなくて、オランダ発の国際列車は1時間遅れなのか?
1時間待てばTEEが入線するのか?
駅員さんに聞こうかと思ったのですが、同行したバックパッカーが、この列車で良いと言ったので、従いました。
昼食はTEEの食堂車でとるつもりだったのが、こんなわけで貧乏旅行に付き合ってサンドイッチになってしまいました。
アムステルダムで1泊したのは、エトワール・デュ・ノールに乗れるという理由もあったし、乗らないのなら遠回りのパリ経由でロンドンに行く意味がないというもの。北極星は遠かった。
そのかわり、パリに着いたら美味しい物喰ってやるぞ!! と心に決めました。

パリで時間があったので散策したら、凄い光景。
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渋滞で先が詰まっているのに交差点に入ってしまって赤信号になり、横方向の車が進むことができず、交差点内で双方入り乱れているのです。交通整理の警官もお手上げ? 秩序を重んじる日本やドイツでは、ここまでひどくはならないと思います。フランスらしいですね。 夕方になり、美味しそうなレストランを探しました。 私は美味しい物が食べられる店かどうかを見極める能力に自信があります (笑 ほどほど良いお店で、そう値段が高くないレストランを見つけました。 私はエスカルゴを食べました。(他にも注文したはずですが、何だったか忘れました) 美味しかったです。 この日は夜行列車でダンケルクへ行き、ドーバー海峡の船に乗ります。 パリ北駅22:35発の列車で、ダンケルクに着くのは4時間40分後の3:15。船は4:10発で2時間20分でドーバーに着きます。 今なら3時間でパリからロンドンに着くのですけど、ホテル代を節約できるメリットもあります。 かつて青函連絡船の夜行便が人気あったのと同じですね。(ドーバーのは横になって寝れる席はありませんが)


posted by かもめ |11:32 | 海外旅行 | コメント(2) |

2012年02月06日

アムステルダムへ

1982年3月27日(土)、朝8時くらいにケルンで列車を降ります。
2等の定員8人のコンパートメントで、ベルリンを出るときは私の一行3名だけでしたが、真夜中なのにハノーファーあたりでは満員になりました。
年輩の男性がお孫さんと思われる10歳と12歳くらいの女の子に「ここに座って行きなさい」というようなことを言って去って行きました。女の子はとても緊張していました。
怪しい日本人が怖かったということはないと思いますが (笑
日中なら話しかけるのですが、夜中で眠くて直ぐにまた眠ってしまい、気が付いたらドルトムントあたりで、すでに私の一行3名だけになっていました。
ケルンでアムステルダム方面へ行く列車に乗り換えるのですが、1時間くらい時間があるので、駅前にある大聖堂を見ました。
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第二次大戦の空爆で、連合軍はこの大聖堂には爆弾を落とさないようにケルンを空爆したそうですが、そう上手くできるはずはなく、内部はかなり被害が出たようですが、幸い、建物全体が崩壊することはなく、修復したそうです。 ケルンからアムステルダムへ向かいます。約3時間です。 ケルンを出ると、デュッセルドルフ、オーバーハウゼン(タコのパウル君が有名になりました)を通り、オランダへ入ります。国境でオランダの税関職員が列車に乗り込んできますが、若い女性で、どうも新人の実地研修のようで、後ろに年輩の職員が見ています。 マニュアル通りというか、まるで犯罪者の取り調べのような応対で、ちょっと不愉快でした。 この数年後にはシェンゲン協定で国境検査はなくなったのですけどね。 アムステルダム名物の運河の観光船に乗りました。
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オランダがスケートに強いのは、運河が発達しているからだそうです。(冬は凍るので) ダッチロールという言葉も生まれるくらいですから。 運河沿いを歩くと、名物のニシンの屋台がありました。 よく日本で売っているような、酸っぱいマリネではなく、ほとんど生です。 三枚におろした半身のニシンの尻尾をつかんで顔の上に持っていって口に入れるシーンをTVで見た人もいると思いますが、たしかにそういう店もありますが、食べやすいサイズにカットして皿に載せてみじん切りのタマネギをかけてピクルスを添える店が多く、それを食べました。 美味しくて感動しました。屋台にジョンデンバーの写真があり、彼もその屋台で食べたそうです。 今度ヨーロッパで最も食べたい物はこれですね。 これを食べるためだけにオランダに行っても良いと思います。イタリアやデンマークでも食べることができるようですけど。 ちなみに、レッズの監督のペトロビッチさんが日本で好きな食べ物はホッケだそうですが、ヨーロッパの人はニシンを食べ慣れているからホッケが好きでも不思議ではないと思います。 次にアンネフランク記念館に行こうと思ったのですが、まだ午後4時前と思っていたら5時前。
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夏時間は今日からだった? てっきり4月上旬からだと思っていたんだけど・・ 実は翌日から夏時間になるため、この時計塔は前日から1時間早めるということが、あとでわかりました。 アンネフランクは諦めてホテルを探していると、数人の日本人のバックパッカーと出会い、近くに安いユースがあるよとのことで案内してもらいました。 どうも怪しいユースで、自称ユースでユースホステル協会に登録されてない宿のようで、とても粗末な宿でしたが、安いので我慢しました。 大部屋にベッドが並んで男女混合でした。シャワーはありましたが、脱衣スペースもない簡素なもので、私以外、ほとんど誰も利用しなかったようです。 晩ご飯はバックパッカーら、総勢8名ほどで安そうな食堂へ。 そこのご主人、「日本にはソニーがあるけど、オランダにはハイネケンがある」と、しきりにハイネケンを自慢していました。 本当はもう少し良いレストランで落ち着いて美味しい物を食べたかったけど、大勢で楽しく過ごすことができました。


posted by かもめ |15:07 | 海外旅行 | コメント(1) |