2017年11月14日
東京出張記その8・氷川丸
氷川丸は30年以上前に見学したことがあり、2度目です。船名は大宮のNACK5の近くにある氷川神社からとったそうです。山下公園のシンボル的存在ですね。 1等室通路。1等キッズルーム。子どもに遊んでもらうのが目的の部屋というより、食事中の託児場所だとか。 1等ダイニング。秩父宮が乗船され、いつも以上に豪華なメニューだったのを再現しています。3等室。相部屋です。そういえば昔はユースホステルとして使っていたけど、ここを使っていたんでしょうね。1等室。1等特別室は風呂もあります。チャップリンや皇族(秩父宮)などが利用したとか。特別室にはリビングルームもあります。チャップリンが乗った時、天ぷらの道具をこの部屋に運んで熱々のエビてんぷらを食べたそうです。2等室がなかったけど、ユースホステルの時代に改装して、その後は復元してないのかなと想像しました。スタッフに聞きたくても受付係しかいませんでした。 あとで調べたら、1959年の宝塚の北米遠征のとき、劇団員は1等と3等だったそうなので、戦後すぐに2等はなかったのかも知れません。 ちなみに、宝塚の某団員が、ある日、大時化でめちゃくちゃ揺れて、とても食堂はやってないだろうと思いながら、這うようにして行ってみたらその日の最初の客で、食堂スタッフ全員に大拍手で迎い入れられ、凄い御馳走が出てきたとか。伝声管です。戦争映画ではよく目にしますね。以前は機関室などへのもあったそうですが、船長室リビングと、同寝室への2本しか残ってません。船長室リビングの伝声管。この形の救命ボートはタイタニック号を連想しますね。巨大なディーゼルエンジンですが、1930年製のがそのまま残ってます。87年も前のデンマーク製エンジンです。本当にでかいです。機関室内の電話ボックス。エンジン音がうるさいのでボックスが必要なんですね。手前が発電機で、奥が発電機用エンジン。停泊中など、メインエンジンを切っても発電できるように専用のエンジンがあるのですね。何ヘルツなんだろう? これも質問したかったけど、受付嬢ではわからないだろうなぁ。 戦時中は病院船として活躍しました。あるとき、高射砲を運んでくれと頼まれ、国際法に違反するからと断ったら依頼した軍人が怒って、刀を抜きそうになり、大本営へ問い合わせて納得してもらったそうです。 でも、実際は重油輸送という国際法違反をしていたそうです。
posted by かもめ |09:12 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(5) |