2008年05月11日
イナバウアーこごみとJNRキハ183
大宮戦、よかったですね。 審判が公平だったのが何よりです。 宮澤君は好機を決められなかったので酷評するサポもいますが、こんなものでしょう。 守備はまずまずだったのではないですか? デビューしたての新居や石井よりも良いと感じました。コゴミ(クサソテツ<オシダ科>がイナバウアーしちゃいました。 (自宅の野草畑です) なんでエビゾったかというと、霜が降りたのです。 コゴミは最も霜に弱い植物なんです。1株だけ、霜に耐えたコゴミがあります。 右奥はユキザサ(ユリ科) ユキザサは栽培されてアズキナの名前で八百屋で売ってますね。 北海道ではどこにでもありますが、道外では標高の高い山に行かないと見られない、高嶺の花です。 右手前で白い花を付けているのはニリンソウ(キンポウゲ科) ニリンソウはフクベラとも呼ばれ、人気のある山菜ですが、葉がトリカブトに似ているので、花の付いたのだけを採取するのが間違えないコツです。 左と左前後はトリカブト(キンポウゲ科) トリカブトというと、トリカブト殺人事件を思い出しますが、その犯人は福島の苗屋で購入したそうですが、福島なら(福島でなくても沖縄以外どこでも)ちょっと山に行けば、いくらでもあるのにね。野生のコゴミです。 すぐ後ろがニリンソウで、その後ろがトリカブト。うちの畑とそっくりです。 コゴミはテンプラやゴマ和えなどが超美味です。 東北や新潟、信州、北陸では人気のある山菜ですが(静岡にはないそうですが)、なぜか北海道では人気がなく、ゼンマイが先客に採られてしまった場所にコゴミがそっくり残されていることがよくあります。ありがたい!!今朝、娘が修学旅行に出かけました。 近文駅から函館まで、この臨時列車で、函館でスーパー白鳥に乗り換えて浅虫温泉まで行きます。 旧国鉄色で、なんとJNRのロゴが残されています。 正確には「残されている」のではなく、マニア向け臨時団体列車向けに復元したのですが。 4両で足りるのに、6両編成でした。貨物列車が来たので慌ててシャッター押したら、お尻がちょっと欠けてしまいました。
posted by かもめ |08:07 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(4) |
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この記事に対するコメント一覧
Re:イナバウアーこごみとJNRキハ183
ご無沙汰しております。
私も宮澤くんはちょっと・・・・
もっと走り、つぶれ役をやって欲しかったです。
ところで修学旅行。
私のとき(といっても1981年・・・)も
近隣の高校と合同で函館まで貸切、青函連絡船で
渡り、青森から日本海ぞいに京都まで寝台特急で
行きました。(特急の名前は思い出せませんが)
今では考えられない旅程です【爆】
18で上京するときは今はもうない「急行 狩勝」で
赤平を8時半くらいに友人達に見送られたの
懐かしい車両の色を拝見して思い出しました。
posted by さくたろう| 2008-05-11 09:26
Re:イナバウアーこごみとJNRキハ183
>デビューしたての新居や石井よりも良いと感じました。
ついこの間まで高校生だったのに堂々J1のピッチを疾走していましたネ。
将来は日本代表になるセンスを感じました♪
好機を決められなかったのは残念ですが、元気の宇宙シュートの事を考えたら☆です。
posted by 大阪の道産子| 2008-05-11 10:02
寝台特急日本海
さくたろうさん、ありがとうございます。
>青森から日本海ぞいに京都まで寝台特急で
>行きました。(特急の名前は思い出せませんが)
答えはすでにご自身で書いてありますよ。
特急日本海ですから。
(急行なら"きたぐに"ですが)
なお、私のとき(1976年)は、同じく京都だったのに、なぜか往復とも東京経由だったので、青森・上野間は寝台特急ゆうづるでした。
岩見沢から函館までは貸し切り列車で、急行狩勝と同じ車両で、帰りの函館からはキハ82の特急(たぶん北斗)でした。
posted by かもめ| 2008-05-11 11:47
Re:イナバウアーこごみとJNRキハ183
私の高校の修学旅行(1983年)は行きが、さくたろうさんと同じで日本海周りで京都までで朝目覚めて海と思ったのが実は琵琶湖だったのが印象的です。
帰りは京都から東京までが新幹線で半日自由行動(読売VS西武の日本シリーズ行われていた後楽園球場に行きました)で、それから上野発の夜行列車で青森まで行き後は行きと一緒で江別まで戻りました。
ちなみに4歳下の弟は行きは私と同じでしたが帰りは大阪から飛行機でした。
posted by EBT| 2008-05-12 02:15