2012年01月06日
南三陸町再訪
オオドサと重複する写真もありますが(普段は重複しないよう気を付けていますが)、記録として残しておきたいのでご容赦願います。 南三陸町の戸倉という集落(旧戸倉村)ですが、志津川と同じ湾に面しているため、ここも壊滅的被害を受け、地盤沈下して、まだ水が引いてません。野鳥の楽園になっているのは皮肉な感じもして、余計悲しいですね。このあたりにあったはずの戸倉小学校は全壊し、廃校になった登米市の校舎を借りて授業をやっているそうですが、一番遠い児童はスクールバスで1時間もかかるそうです。 戸倉小学校の体育館は震災10日前に完成したばかりでした。 戸倉駅付近の線路(JR気仙沼線)はこんな様子。トンネルの先は線路の路盤のほとんどが流されています。志津川の松原公園で保存していたSL。この公園で遊んだ子どもの想い出のSLだと思いますが、スクラップにされるのでしょうか。 公立志津川病院の仮設診療所です。イスラエル軍が医療活動をやっていたプレハブです。入院患者は登米市の病院施設を借りて収容しています。 南三陸町は志津川町と歌津町が合併した町ですが、歌津の中心部も壊滅的被害で、国道45号の橋桁はほとんとが流されています。ここが歌津で一番の繁華街だった場所で、橋は45号バイパス。手前の道路は旧45号だと思います。 9月に見学した臨床心理士がやっているカフェ(集会所としても機能)は、冬は寒くないようにしてオープンしていました。
posted by かもめ |12:10 | 東日本大震災 | コメント(0) |
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