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2009年03月05日

近藤勇の生家跡と調布飛行場

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近藤勇が生まれたところには、こんな看板しかありません。 記念館くらいあってもいいのでは? なんて思ったりしますが、遺品などは全然ないでしょうし、難しいのでしょうね。 場所は、調布飛行場の北端からちょっと北の野川公園です。 ちなみに、戦時中、調布飛行場の拡張工事のために近藤勇の生家を取り壊したそうです。もったいない。
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調布飛行場は、たくさんの小型機が駐機してました。 大島や神津島、新島などへ定期便が飛んでいます。
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調布飛行場にはプロペラカフェというカフェがありますが、格納庫内にあるのです。 見えている飛行機は19人乗りのドルニエかな? 大島などへ飛びます。
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セスナのフライトシミュレーターがあります。 今度行ったら体験してみます。
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これはヘリコプターのシミュレーター。
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YS-11の模型。
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ドルニエDoX。世界最大の飛行艇。 12台もエンジン搭載してますが、100人の定員ではパワー不足で、低空しか飛べなったそうですが、それでも大西洋を往復した記録があります。 3機しか製造されず、2機は戦時中に解体、最後の1機はベルリン爆撃で破壊されたそうです。


posted by かもめ |19:19 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(4) |

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この記事に対するコメント一覧
Re:近藤勇の生家跡と調布飛行場

>YS-11の模型。

懐かしい今は無きフィリピナス・オリエント航空の塗装ですね。手元の資料で見ると
レジスタ(登録番号)がフィリピン国内レジになっているから元JA8679で、日本
での登録番号ですが1967年6月にロールアウトし、そのまま比国に売却後抹消登録
しているので新機で買った機体のようです。(シリアル2039 YS-11-121)
その後フィリピン航空に移管され80年代まで飛んでいたそうです。マルコス時代の
フィリピン観光省の仕事をしていたので懐かしいですね。

posted by 大阪の道産子| 2009-03-05 21:23

Re:近藤勇の生家跡と調布飛行場

マルコス大統領といえば、イメルダ婦人を思い出します。
洋服や靴、宝石などで、もったいない買い方、もったいない使い方をしたときに、「イメルダ婦人みたい」との形容表現をさせていただき感謝してましたが、いまでは若い人の前では通じなくなってしまって残念です。

posted by かもめ| 2009-03-05 21:56

パンが無ければガーリックライス(比名物)にしたら?

>イメルダ婦人を思い出します。

当時国営のフィリピンプラザホテルの最上階の全フロアーはイメルダの専用スペースと御付の方の部屋もありました。屋上は万一の為のヘリポートでした。

スラムのトンド地区を始めいたるところでマルコス専制政治に対して「食料が足りない」との非難ごうごうの中での贅沢でした。まるでマリーアントワネットのようでしたね。
こんな国はそのうち革命が起きると思っていました。

posted by 大阪の道産子| 2009-03-05 22:17

Re:近藤勇の生家跡と調布飛行場

 おはようございます!
 いよいよですね・・・・。 

 近藤 勇ですが、一応科人として処刑され(斬首)、その後「許された」ともなっていないからですかね・・・・。 

 へりはあることで防災へり、自衛隊ヘリと関わりあり、身近であの風圧の凄さを体験しました。

posted by はすえいん| 2009-03-06 09:42

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