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2009年01月20日

苗穂機関区と月寒(貨物)駅

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中学2年の1973年5月15日に苗穂機関区に行きました。 この時期、大都会札幌にまだ意外とSLが残っていて、千歳線でC-57やC-58が貨物列車を牽いていました。 このC-57ですが、ドームの後ろに四角い箱がありますね。
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きっと重油タンクなんでしょう。 貨物だと投炭は重労働ですから、よくD-51なんかに重油タンクが付いてましたが、山越えもない千歳線のC-57で重油混燃とは意外ですが、千歳線に配属する前にすでに付けていたのかも知れませんね。
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1973年12月の月寒駅。 すでに千歳線は新線に切り替わっていましたが、貨物線として苗穂・東札幌・月寒間は残っていました。 重連の前の機関車はC-57ですが、後ろの機関車もC-57のようです。 サラブレッド(C-57)が2頭で荷物を牽くより、農耕馬(D-51)が1頭で牽くべきと思うのだけど、まもなくSLがなくなる時期だから、運用の都合でこうなったのかな? 車検にあたる全般検査には莫大なコストがかかるので、有効期限の残っているSLでやりくりして、こうなったとか?


posted by かもめ |19:18 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(4) |

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この記事に対するコメント一覧
C-57 87との再会

重油タンク付きのC-57ですが、苗穂に来る前は、どこに所属していたのか調べたら、ちゃんと紹介しているサイトがありました。
http://rail.hobidas.com/kokutetsu/archives/cat2031/cat453/
福知山線だったんです。それなら重油タンク付いているのも当然ですね。
ちなみに、私が写真とった半年後くらいあとに旭川機関区に配属になり、宗谷線で活躍していました。

posted by かもめ| 2009-01-20 22:33

Re:苗穂機関区と月寒(貨物)駅

鉄道ホビダス投稿の本人です、福知山時代の末期(1970頃)武田尾で撮影した87号機には集煙装置まで乗っていました、さすがに北海道では集煙装置は使用されなかったようですね。
こちらのサイトに詳しく紹介されています。
http://www.ne.jp/asahi/hokuso/hokuso2/html-fukuchiyama2.html
http://hokuso.com/daigazo/html-daigazo-072.html

posted by HK4210| 2011-12-23 23:29

Re:苗穂機関区と月寒(貨物)駅

HK4210さん、ありがとうございます。
貴サイトのおかげで疑問が解決して感謝しております。
私も1974年に旭川機関区や塩狩峠へ行き、C-57が来るとがっかりするという、今考えると贅沢なことを言ったものですが、そのときあのC-57は前年に苗穂で見たカマだったとは気づきませんでした。

posted by かもめ| 2011-12-24 07:30

Re:苗穂機関区と月寒(貨物)駅

http://www.facebook.com/photo.php?fbid=145674708882013&set=a.107484429367708.9627.100003184538124&type=1&theater

ご協力いただければ幸いです。

posted by HK4210| 2012-01-19 00:07

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