2015年01月06日
再びドラマの時代考証
某TVドラマで、1929年に北海道に営業に行ってウヰスキーを売るという話がありました。 汽車の中で北海道の鉄道地図を眺めて、「小樽に行こう!」とのシーンがありました。 (実際に行った先は小樽ではなく、札幌の開拓の村ですね) で、その鉄道地図ですが、本当に1929年のものなのか疑問になって調べました。 (昭和初期に、そんなに鉄道が開通していたのだろうか、違和感あったのです) その地図で深名線は深川・朱鞠内間が開通していましたが、朱鞠内まで開通したのは1932年10月25日です。 名寄・初茶志内間が開通したのは1937年11月10日なので、その地図は1932年10月~1937年11月の間のものということになります。 また、瀬棚線が全通しているので、1932年11月1日以降ということになります。 標津線は厚床・中標津間だけが開通しているので、1934年10月1日以降、1936年10月29日以前ということになります。 日高線は浦河までだけが開通しているので、1935年10月24日以降、1937年8月10日以前ということになります。 羽幌線は留萌・羽幌間と天塩・幌延間だけが開通しているので、1935年6月30日以降、1936年10月23日以前ということになります。 よって、その地図は1935年10月24日から1936年10月22日までのものということになります。 少し古い地図を買った(持っていた)ということで、過去の地図が登場するのならありえることですが、6~7年の未来の地図を見ていたということになりますね。 ちなみに、ドラマで登場した汽車を牽引していた機関車(C-10)は、1930年から製造されましたので、乗った列車も未来の列車です。
posted by かもめ |19:54 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(5) |
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この記事に対するコメント一覧
Re:再びドラマの時代考証
かもめ殿
>その地図は1935年10月24日から1936年10月22日までのものということになります。
言うまでも無く時代考証はドラマの信憑性を裏付けるディテールとして重要なエレメントです。その為に
莫大な予算をかけて膨大な資料がNHKに保管されています。ボクは戦前の資料を大阪のNHKに
借りに行った事があります。放送したビデオを事後提出しなければならない程に時代考証と著作管理に
神経を使っているのに、このミスは信じられません。
NHK大阪にメールをお勧めします。国民的関心の高いドラマですから間違いは許されません。
http://www.nhk.or.jp/osaka/contact/index.html
posted by 大阪帰りの道産子| 2015-01-06 21:06
Re:再びドラマの時代考証
オオドサ殿。
所詮、ドキュメントでなくドラマなんですから、そこまで目くじら立てなくてもいいのではないですか?
posted by かもめ| 2015-01-06 21:26
Re:再びドラマの時代考証
かもめ殿
>そこまで目くじら立てなくてもいいのではないですか?
あっ・・そうでしたねェ・・ドキュメントでは無くドラマでした(^▽^;)
posted by 大阪帰りの道産子| 2015-01-06 21:35
Re:再びドラマの時代考証
私も例の某テレビドラマは一応は見ていますが全く気づきませんでしたし、道産子でも大抵の人は分からないと思います。
それにしても韓国や中国など外国で製作されたドラマの考証の矛盾点を重箱の隅をつつくように騒ぎ立てるネットやマスコミの連中が日本の、こういう朝の連続ドラマや大河ドラマの矛盾点を無視しているのは滑稽に感じます。
posted by EBT| 2015-01-07 17:31
Re:再びドラマの時代考証
EBTさん、こんばんは。
相当な鉄道マニアでなければ気づきませんよ(笑
ドラマなんですから、それくらいのミスを批判するなんてことはすべきではないでしょう。
私は鉄道マニアなので実際のとどれくらい誤差があるのか、とても興味があって調べただけですけど、とても面白かったです。
それにしても、よくあの時代の鉄道地図があったものです。
凄いと思います。
誤差を揶揄するよりも、誤差があってもあれを出したのは評価すべきと思います。
欲を言えば、もう少し古いのがあればよかったですけどね。
小樽・余市間は1903年に開通していますから(もちろん、函館・小樽間も開通しています)もう20~30年くらい古くたってよかったのに。
posted by かもめ| 2015-01-07 17:56