2008年02月04日
プログレの日々:ピンク・フロイド
今晩から5夜連続(予定)で、1960年代後半に出現したプログレッシブロックについて書いてみたいと思います。プログレッシブロックとは、一般的には、ロックにクラシックやジャズの要素を取り入れた前衛的なロック音楽(そのまんまですね)と言われています。普通は、単にプログレと言います。初期にはアート・ロックとも呼ばれバニラ・ファッジなどが有名です。 当時、雨後の竹の子のように誕生したプログレッシブロックバンドですが、今なお聴き続けているのは、ピンク・フロイド、イエス、EL&P、ムーディー・ブルース、そしてキング・クリムゾンです。いずれ劣らぬ歴史に名を残す名バンドだと思います。 さて、まず、ピンク・フロイドです。 私が、ピンク・フロイドを初めて意識したのは、1970年の秋も深まった頃です。当時、中3の私は、放課後、書店とレコード店に立ち寄るのが日課みたいになっていました。書店は「美誠堂」、レコード店は「高橋楽器店」だったと思います。どちらも、美唄市内の国道12号線沿いにありました。 当時、私は、ビートルズにドップリ漬かっていました。その日、私は、ビートルズのラストアルバム「レット・イット・ビー」を買うために高橋楽器店に行きました。このアルバムは、豪華ブックレットが付いて3,600円もしました。1枚なのに2枚組のアルバムと同額です。なかなか資金繰りが付かず、やっと買いに行ったのが、発売半年後の1970年の秋だったわけです。 お客は私のほか2歳年上の先輩が一人だけ。顔は知っていましたが会話を交わしたことはありません。特別な感情を持っていたわけではありません。彼は、大きな乳牛が写った妙なジャケットのアルバムを買っていました。 私は、彼が帰るのを待ち、店員さんに「今のレコード何なの?」と聞きました。すっかり顔見知りになっていた店員さんは「ピンク・フロイドのゲンシシンボよ!」と答えました。「ゲンシシンボ?ふ~ん!」と答えた私ですが、帰宅後、念願の「レット・イット・ビー」を聴くうちに、「ゲンシシンボ」のことはすっかり忘れてしまいました。 翌年、高校に進学した私は、沢山のロック好きな同級生と出会います。ある日、そんな同級生の一人が、「ピンク・フロイドのおせっかい聴くか?」と言います。断ることを知らない私は、もちろん借りることにしました。 「おせっかい」ねえ?変わった題名だな。」と思ったのを覚えています。ジャケットが、また何だか良く分からない。随分後になって、波の立った水面に映った大きな耳だと分かりました。A面はシングルカットされた「吹けよ風、呼べよ嵐」など5曲。B面はたった1曲「エコーズ」だけ。でも、この1曲でKOされました。23分の大作。これだけ長時間、飽きさせない曲作りは、まさに神業とさえ思われました。どんな曲かの説明はできかねます。聴いた者同士でなければ共有できるはずがありませんので・・・! そして、1973年、運命のアルバム「狂気」と出合います。まさにパーフェクトなアルバム。全く無駄のない音のぶつかり合い、若しくは融合。アルバムに収められた12曲が、切れ目なく流れて行きます。いわゆるコンセプトアルバムで、主人公の誕生から人生の苦悩、葛藤などが描かれています。間違いなく、彼らの最高傑作。ビートルズの「サージェント・ペパーズ」と並ぶロック音楽の金字塔だと思います。 メンバー ロジャー・ウォーターズ(ベース&ボーカル) リチャード・ライト(キーボード&ボーカル) ニック・メイスン(ドラムス) デヴィッド・ギルモア(ギター&ボーカル)
どのアルバムにも、お気に入りの1曲があるものですが、このアルバムについては、その時々で1番が変わります。現在は「虚空のスキャット」と「アス・アンド・ゼム」がお気に入りです。 ピンク・フロイドは、その後も、「炎~あなたがここにいてほしい」(1975年)や「ザ・ウォール」(1979年)などのヒット作を放ちますが、私の中ではピンク・フロイド=「狂気」です。 そうそう、ゲンシシンボは「原子心母」と書きます。英語のタイトル名「Atom Heart Mother」を直訳したものです。このアルバムは未だにまともに聴いたことがありません。最初に聴いたときの相性が悪かったようです。一応、プログレの名盤と言われていますので、いつか再チャレンジしてみようと考えています!
posted by かんち |19:00 | 音楽・コンサート | コメント(5) | トラックバック(0)