2007年11月05日
妖精達の、何じゃそりゃ3
ここは、そういうカテゴリーなので、あしからず。
今日は、ほんとは、鳥栖の偵察報告を書こうと思っていたが、急に、気がかわっちゃいました。
(コンサと、全然、関係ありません。ちょっと長いよ)
【梅干と白米】
小腹がすいた。
何もないので、炊きたてご飯と梅干だけ、他には何もない。
赤と白の取り合わせが、シンプルで、潔い。 (赤と黒もいいけどね)
果肉をかじる。
それに、全神経を注ぐ。(他になにも無いから)
今まで、感じなかった、梅干の微かな主張・・・果実の名残
だいたい、口に丸ごとドバッと放りこんでタネを出すのが、常であった梅干を、こんな丁寧に食べたのは、初めてのような気がする。
見過ごしていたけれど、随分味わい深いと気づく。
次は、ご飯だ。
梅干しがそうなのだからと、ご飯にも、礼を尽くすように、対峙する。
1粒、1粒良く噛んでみる。
・・・甘い。
なにか、噛むという単純な行為に、感謝したくなるようだ。
ご飯と梅干・・・。
シンプルだが、
たまごかけご飯とは違う。
納豆ご飯とは違う。
さけフレークご飯とも、お茶漬けとも違う。
何か、凛とした、謙虚になれる自分を感じる。
そんな、ことを考えると、最近復活してきた大食い番組が、非常に不愉快に思える。
最近のテレビ局の横暴さには、がまんならないことが多い。
アフリカの子供達が、餓死する姿に大真面目に「考えさせえられます」などと言いながら、世界中で、魚がどんどん減ると言いながら、一方で大食いを売り物の番組を作る。
(確か、日本には「もったいない」という、素晴らしい言葉があると言った有名な外国人が、日本人は、食べ物を輸入してでも残すと言ったんでしたっけ?)
いじめ問題が社会の縮図のようなコメントをしながら、お笑い番組では、容姿をネタにスリッパでたたいたり、バカにするようなコントを平然と流す。
くらしの変化と密着して、変化してきた言葉の文化を、流行というだけで、次々と簡単に壊していく。
味噌汁は、おいしそうな「におい」と言ったほうが、旨さをかもし出すのに、最近の、アナウンサーや、にわかアイドルレポーターなどが、なんでもかんでも、「香り」ですましてしまうし、ヤバイのも、ヤバクないのもみんなヤバイになっちゃうし、煮詰まるなんてのも、最近は逆の意味で使う人が増えるから、話が合わない。
(あ、だんだん、ウザイおやぢになってきてしまった。そろそろ、引き下がらなければ・・・)
表現の自由にも、責任を持ってほしいものである。
だいたい、ボクサーの○田一家への批判だって、彼らが負けたから良かったものの、もし、勝ってたら、逆に、彼らをもてはやす番組のオンパレードだったんじゃないかと思ってしまうほど、不審感でいいぱいだ。(
話が、だんだんずれてきたかな)
飽食と競争の世界で、守るべきもの、壊すべきものの、区別がつかなくなっているこの時代、
たまには、
梅干とご飯に身をおいてみるのも良いかもしれない。
などと言いながら、明日から、元の日常に紛れるのだなあー。
梅干ご飯から、どこまで、話が飛躍するんじゃい!
ここから、先は、ちょっと、個人的な連絡です。
たんぽぽさ〜ん。
posted by すいとこびっち |17:50 |
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2007年09月25日
妖精達の、何じゃそりゃ3
『望小達大』 という言葉について。
何じゃこりゃのコーナーなんで、何じゃそりゃと思って読んでください。
望小達大・・・野口英世博士の書いた言葉です。
猪苗代湖のお土産に買って、家で額に入れてた言葉です。
意味は、本当は、知りません。
『人のためになる小さなことを一つ一つ謙虚にこなしたことが、大きな成果になった』野口英世の生き方を思って、勝手に、
『身の丈にあった一つ一つの小さな目標を、こなしていくことがやがては、一つの大きな達成につながる』という意味だと思ってます。
コンサの試合に例えるなら、
第1、第2クールはそういう試合運びがしっかり出来ていたような気がします。
湘南戦をやっと、今日見て、それが、今はちょっと違うようにも見えました。
すばらしいフィニッシュは、1つ1つのプレーを確実にこなした上に成り立つものだと思います。
明日の山形戦は、是非そういう試合をしてほしいものです。
きっと、それは、サッカーに限らない。
小さな目標を励みにした先に、望んでた自分がいるかも。
あせらず、今の自分に必要なことを大事にして下さいね。
posted by すいとこびっち |20:56 |
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2007年08月23日
妖精達の何じゃそりゃ2
前回、反響がすくなかった得体の知れないこのコーナーですが、何なのかと言うと、何だと思います?。
読んで頂くうちなんとなくわかって貰えるといいんですが。
まずは、お付き合いしてみて下さいな。
我慢して、付き合っているうちに味わい深くなるか、私が飽きるか。
で、ここから本題です
もし、乗ってたエレベーターが落っこちて助からないとしたら皆さんはどうしますか?
ファイナルアンサー?
私は、ポケットからライターを取り出し、目の高さで手を離します。
手を離しても、ライターは宙に浮いたまま床に落ちない、無重力現象を疑似体験出来るかも。
どうせ落っこちるんだったら、それが抗えない運命ならば、ただ泣き叫んで落っこちるよりも、「お、すんげー、すんげー、無重力、無重力!」と感動しながら落っこちれた方がいい、という、考え方もあるんじゃないかな。
運命に立ち向かう勇気って、意外と遊び心とか好奇心とかの中に潜んでるかも知れないですね。
でも、禁煙してライター持ってないこと忘れて、ライター探しまくったあげく「あ、そうだ、もうライター持ってないんだよなあ。」って、気づいた瞬間に落っこちたら、ちょっと悲しいでぇ。
ちなみに、妖精はストイコビッチのあだ名(ピクシー)のことであって私のことでは、ありません。
posted by すいとこびっち@おやぢ妖精(今、きもって言ったでしょ!)
追伸
3つ前のエントリー分までのコメントの返事書き込みましたので各エントリーをご確認下さい。
posted by すいとこびっち |17:40 |
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2007年08月17日
妖精達の、何じゃそりゃ1
すいとこびっちでございます。
暇なんです。
暇すぎて、日常では絶対働かせないであろう思考を働かせたりします。
そこで、新しいコーナーを作ることにしました。
題して
「妖精達の何じゃそりゃ」
以下本文↓
コアラのマーチを食べる僕
一個一個見つめては
無理に「かわいい」などと思ってみる
・・・
それだけで変わる世界がある
解説です。
年齢を重ねてくると、若い頃感激したようなことが大した感動でなくなったりします。
こだわりが強くなると勝手に「これは、こうでなくてはならない」などと思い入れにすぎないルールを作り、柔軟な感動を見失ったりします。
いつからか流行りの音楽を聞くと「昔流行った歌とおんなじメロディー」が凄く耳につくようになりました。
渡辺かつみとかいう人の歌が世界ヒットしたミッシェルポルナレフのシェリーにくちづけだったり
CHEMISTRYがメジャーになった歌がチャゲアスのサビだったり、
北海道出身の女の子4人組の歌がイカ天で聞いたことがあったり
ビギンの昨年のなんとかって歌が、モロ松山千春の「大空と大地の中で」そのものだったり、
175Rの紅白にも出た歌がチャゲアスの「男と女」だったり
数え上げるときりがありません。
昔すこーし音楽に関わったことのある私としては、プロならそんなこと気づかないはずはないし、そんな歌の発売はプライドが許さないハズと思っちまいます。
だから、批判が先に立って、彼らの歌を聞くことを避けて来ました。
でも、それはそうとして、肩の力を抜いてみると、良さの原点が、本当は違うところにあったりすることに気づいたりするんでしょうね。
娘が見舞いに差し入れてくれたコアラのマーチ。せっかく絵が描いていて、ソンでもって私ひまなもんで無理にコアラを楽しんで食べようと思い、ふと、そんな事考えてしまいました。
多くを語る気はありませんが、先週見たどなたかのブログで、サポーターとファンの違いで悩んでいた方がいらっしゃいましたが、
どこか共通する所があるような気がします。
とってつけたようなつまらない定義付けに振り回されず、胸をはってサポーターだと思っていいんじゃないかなあ。
posted by すいとこびっち |17:00 |
妖精達の、何じゃそりゃ |
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