2011年04月12日

小田原城と石垣山一夜城攻め

時は、2010年11月3日は文化の日まで遡る。
妻と娘と私と3人で、小田原城、石垣山一夜城攻めへと出かけました。

鎌倉近くを車で走っていると、ラジオから横浜APECについての話が流れてくる。

私 「APEC、APECってよ〜お、APECって、何の略なんだろうね?」
娘 「Aはアジア、Pは太平洋、Eは、ん〜」
私 「あ、エロじじぃぢゃないか?」
娘 「Cは何つったっけ、ホラ」
私 「何か、会議って、Cで始まる言葉だぞ、確か」
妻 「コングラチュレーションでしょ」
私 「何でやねん!」

というわけで、この日、我が家では、APECは
Asia-Pacific エロじじい Congratulation 
と決まったのでありました。
アジアと環太平洋のエロじいさんに何があったのでしょうか?
(エロじじぃの部分のみ、フィクションです)

全然関係ないんですが、神奈川県のマークって、ムンクの叫びに似てません?
 ↓
20110412-00.gif

そんなことを言いながら、小田原城に到着しました。
最初に観光事務所に入ると、そこには、何故かZETTON(ゼットン)がお出迎え。
知らない人は知らないでしょうが、ウルトラマンに勝った強い怪獣さんです。
 ↓
20110412-01.jpg

何でゼットンが、小田原城に居るんだ?
帰って調べて見たが、何も接点は分からなかった。
さすが、城はミステリーにあふれている。

さて、小田原城攻めの最大の興味は、
「超絶栄光門は、本当に小田原城にあるのか?」ってこと。
超絶栄光門、知ってますかね?
BASARAっていう戦国もののテレビゲームがあって、そこに小田原城の難攻不落の門「超絶栄光門」が出てくるわけですぢゃ。

ありました!
いや、そうじゃないんだけど
形からして、たぶんコレ、銅(あかがね)門に違いない、と勝手に結論つけました。
 ↓
20110412-02.jpg

そして、本丸に入る門、常磐木(ときわぎ)門をくぐる。
 ↓
20110412-03.jpg
「お、こんなとこにチャイムがあるぞ、押すとピンポンって鳴るのかな?」
と押してみると、
後ろの方から、「キャー、エロじじぃ。」と言われて、「ご、誤解ぢゃー。」と思いつつ、恥ずかしくて逃げてしまった。
こうやって、いわゆる、「ピンポンダッシュ」は、始まったのですね。
さすが、お城って、歴史の宝庫ですね。

そして天守閣に入りました。
 ↓
20110412-04.jpg
元々は、後北条家が建てたお城なんですが、豊臣に滅ぼされた後、一心太助で有名な大久保彦左衛門が城主になったのかな?
北条のマークのミツウロコを示すものは一切見当たらないのが、寂しかったです。

そして、次に向かったのは、石垣山一夜城

石垣山一夜城ってのは、豊臣が北条を攻め落とすために一夜にして築いたといわれる城ですが、一夜で出来るわけはなく、天主閣の周りの木々を夜中のうちになぎ倒し、ある朝突如として城が現れたのだと、案内所
のおじさんが言ってました。(はじめて、知りました)
一夜で「築いた」城じゃなくて、一夜で「気づいた」城って言う意味だったんですね。←うまい、ざぶとん一枚。

石垣山一夜城はその名の通り、山の上にあります。
小田原城から車で坂道を登っていくんですが、行けども行けどもソレらしい場所がない。
もう、通りすぎたんじゃないか?と思いつつどんどん登っていくと、やっとこさ駐車場がありました。

最初だけボランティアのおじさんが説明してくれました。
コレが石垣山のゆえんなる石垣なんですが、カメラが下手で良くわからないかもね。
 ↓
20110412-05.jpg

そして、ここが天主台。
 ↓
20110412-06.jpg
めっちゃ狭い場所にあります。

そして、ここが、展望台から関東方面を望むの図。
左下に小田原城が見い降ろせるんですが、写真じゃわかりにくいでしょう。
 ↓
20110412-07.jpg
大河ドラマだと、この展望台で、豊臣秀吉と、徳川家康が、ツレしょんしながら、言うわけですね。
秀吉 「お、おぬし、なかなかでかいのお」
家康 「見んなよ、バーカ!」

いやいや、そうじゃなくて、遠く関東方面を望みながら

秀吉 「おぬしに、これをあげようぞ!」
家康 「げっ!恐れながら、そのような、ばっちぃものは頂けませぬ。せめて、洗ってからくだされ!」
秀吉 「何を勘違いしておるか、わしのコレぢゃなくて、関八州をそちにやろうと言うのぢゃ。それに、洗ったらもらうんかい!」
ってな会話をしたところだそうな。

そして、圧巻は、井戸曲輪っていう名のもんのすごく大きく深い井戸。
どんだけ大きいかっていうと20m四方はあるでしょうか?井戸の中に降りていけるんです。
あまり広すぎて、全容は写真に納まりません。

その井戸の一番下で撮った写真がコレ。
 ↓
20110412-08.jpg
沢蟹さんが遊んでました。

芭蕉や一茶だったら、ここで、一句浮かぶんでしょうね。

その1月程後、娘は再び、小田原城へと向かった。

あれは、本当の小田原城の姿ではない!と。

実際の小田原城は、実は、もっともっと広く、今の公園になっている居る部分の数倍の広さなんだそうです。
それを探りに一人で城攻めに行って来た娘。

「ふ〜、見て回るのに6時間もかかったぜ!」

だそうです。

私も、いずれ、リベンジせねばなるまい。

【これまで行った城】
単なる観光で行ったとこ
・五稜郭
・弘前城
・必ず、「あ、お城が燃えている」という奴が居る、会津若松城
・必ず「♪仁義礼智忠信孝悌、いざとなったら玉を出せ」って歌う奴が必ずいる久留里城
・「お前ら、ここを捨てて逃げていくんじゃ」という奴が必ずいる大滝秀治、もとい、大多喜城。
・松本城
・エレベーターが興ざめな大阪城
・外から見ただけの、名古屋城
・動物園の方が印象に強い小諸城址



城攻め気分で行ったとこ
・浦賀城
・新井城
・三崎城
・甲府城
・躑躅ケ崎城
・勝沼氏館跡
・小田原城
・石垣山一夜城
・太田金山城












posted by すいとこびっち |09:24 | 城攻めぢゃーっ! | コメント(2) | トラックバック(0)

2011年02月12日

太田金山城址

えっと、「城攻めぢゃー!」という新しいカテゴリを作りましたので、そこんとこ、よろしく。

2010年の成人の日に、娘に付き合って、浦賀城址に行って以来、拙者、すっかり城好きになってしまったわけでござるが、
その後も、甲府城、躑躅ヶ埼城(信玄の舘)、勝沼氏館跡、小田原城、石垣山一夜城と城攻めを続けておりますでござ候。
先日、2月4日に、群馬県は太田市にある金山城址を攻めてまいったので、日記に留めておこうと思った次第でござる。
 
2月3、4日と、たまたま続けて太田市出張となり、泊まることにしたのでござるが、4日は午(う)の刻過ぎに客人先へ参る手筈にて、辰の刻から巳の刻(午前の8時〜12時)は、暇を持てあましてしまうわけでござる。
そこで、これは、チャーンス!あ、いや、「時来たり!敵は金山城にあり!」と思い、前から、目をつけていた金山城攻めを敢行することとしたのでござる。
 
というわけで、いざ参ろうぞ!
 
【金山城攻めレポート】
金山城は、関東七名城の一つだそうで、平な太田市の真ん中らへんにポッカリ浮かぶ標高235.8mの金山という山そのものを利用した山城(not新伍)なのぢゃ。
本丸近くに、山全体の模型があったので先に全容をお見せすると、こうなっておるのでござる。
 ↓
20110212-00.jpg
 
要は、一番高い山頂を本丸として、尾根続きの隣の小山を出城とし、山全体が要塞となってるわけですぢゃ。で、拙者は、この写真で言うと、向こう方に伸びている尾根のちょこっと緑が見えているあたりから、頂上に向かって進攻したのでござった。
 
本丸方向へ向かって行くと最初の空堀に出会うでござる。
空堀と言うのは、つまり、水のないお堀ですぢゃ。
山を3mから5mほど深く掘って、お馬さんが一頭やっと通れるくらいの道を作り、両脇の高台から矢を射かけようという作戦ぢゃ。
↓
20110212-01.jpg 
  ↑ 
この最初の空堀の先には、崖っぷちに橋が架けられておってのう、「通り抜けできません」という立て看板がたっておったのぢゃよ。
そう言われると、通ってみたくなるのが、人情ってもので、
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20110212-02.jpg
 
この橋を崖の下から見上げるとこんな状態。
武士は、ルールを破ってはいけないでござる。
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20110212-03.jpg

 
橋の説明は忘れてしまったでござる。忍びの者に文をしたためさせれば良かったが、あいにく拙者一人だったもんで、忍びの者が居なかったのが忍びない、なんちゃって〜!でござる。
が、なんか、普段は日常の通路として用い、戦で攻め込まれる時は橋をぶっ壊して通行出来なくするようなことが書いてあったと思われし候。
 
更に、本丸方向へ攻め入っていくと西矢倉台下堀切と言う、第2の空堀がそれがしを待ち受けていたでござる。この堀切はかなり深く掘られており、壁の上に矢倉があったのであろうが、完全に真上から矢を射かけられるので脳天串刺し、岩魚の串焼き状態になってしまいそうぢゃわい。
↓
20110212-04.jpg 
 
この堀切を攻め入っていくと、その先に、さっきの「通り抜けできません」な橋の途中が見えたのでそこまで進攻してみることにしたのぢゃが、途中からこの堀切が恐ろしく急斜面になってる上、枯れ葉が膝上まであって、枯れ葉のプールの中を泳ぐような状態、うっかり転ぶと滑り落ちそうだったんでビビりなそれがし、そそくさと引き返したのでござった。
しかし、雨の日なんかは、とても攻め入れない造りだと思われまいた。
 
ここから、更に、本丸に向けて進攻を続けると馬場下通路という所に出る。
馬場下通路(ばばしたつうろ)を、うっかり大阪人に話すと、「なに?通路で、う○こした奴がおるんかい〜。ごっつぅ、けったいな通路やなあ。」と思われるので気をつけよう。
 
で、この馬場下通路に見られる石垣がこの城最大の特徴なのでありんす。
↓
20110212-05.jpg 
なんと申すか、普通の城の石垣とは違い、普通なら塗り壁で出来ているような部分が石垣で出来てるような感じでござる。
 
ふと左手を見ると、と言っても自分の左手を見た訳ではない(出展:山田邦子)。
そこには、こんな壮大な堀切があったのぢゃよ。
↓
20110212-06.jpg
 
わかりますかね?地面も壁も岩だらけ、ってことは、岩山を削ったってわけで、こんなもん削れるなんて、中払なんか、まだ可愛いもんですぢゃ。

この右側の崖の上が見張り台となります。
見張り台に登って見た景色が、コレですぢゃ。
↓
20110212-07.jpg
全然わかんないでしょー。それがしの携帯ではこれが限界でござるのだが、前後、そうですなあ、270度は見渡せる実に壮快な景色じゃよ。
 
そうそう、直ぐ近くに「すずめバチ注意」の看板が。
すずめバチまで武器にするとは、相当の強者に違いない。夏の合戦は避けるべし。
 
さらに50m程行くと、いよいよ主要部の入り口となるわけでござるが、その前に最後の大堀切が見えてきまいた。
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20110212-08.jpg 
堀切の下に、小さな水溜まりのようなのが見えると思うのぢゃが、コレは「月の池」というものらしいぞよ。
↓
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想像するに、最後の砦の大堀切を進攻すると、それはもう、超強力な攻撃を受けるわけで、激しい弓矢の雨霰、「びぇーん、痛いイターイよ、おっかちゃ〜ん」と泣きながら堀切を突っ切る。
「おお、ついに堀切を切り抜けた。あ、切り抜けるって、もしや、ここから来たの?」と思ったのもつかの間、月の池に『ドッボーン』。
「勘弁してちょ。踏んだり蹴ったりぢゃないか。僕、もう帰る。プンプンッ!」ってな、心理的効果を狙った池かも知れないでござるのー。恐ろしや恐ろしや。
 
そして、圧巻は、いよいよこの城の主要部への入り口、大手虎口でござる。
普通の城では見られない、石垣造りの壁というのか塀というのかが続いており、また何段にも重なっておるのでござる。
↓
20110212-10.jpg 
写真がいまいちなので中の高台から逆に入り口方面を写したのがこれであるが、わかりにくいかのお。
↓
20110212-11.jpg 
復元とはいえ、なんといいますか、まっこと、お洒落な舗道という感じで、きっと当時もビフォーアンドアホーいや、アフターの名人みたいのがおったにちがいないでござる。
 
更に、奥へと駒を進めると、ソコにはまた大きくまん丸な池が待ち受けておった。
↓
20110212-12.jpg 
「日の池」と言っての、説明文によると、忍者赤影が、ここで巨大ガマガエルを飼っていたのだそうじゃ。(ウっソぴょ〜ん、でござる)
 
近くの武器庫の脇にかまど跡があった。
↓
20110212-13.jpg
 
この池の上を囲む高台が広い敷地になっており、そこには、欅の巨木がたっておった。
さらに一段高いところに本丸跡があり、今は、新田神社がたっておりまする。
欅を前景に、本丸跡を写してみた。
↓
20110212-14.jpg 
が、この試みは携帯電話のカメラだと、ちと虚しいのお。
 
そして、これが本丸址。
(後に、と言ってもたぶん古いんだけど、新田神社という神社になってます)
↓
20110212-15.jpg 
敷地の鬼門の方角(北東)が、魔除けのために切り崩してあるのが印象に残りましたでござる。
 
金山城は、現在も発掘作業中ぢゃよ。

【さてさて】
行きは距離が分からないので、タクシーで行った所、1700円程度かかってしまいました。
で、帰りは、待ち合わせまで、2時間くらいあったので、お金ももったいないし、歩いて降りようかと思い、携帯のGPSで調べると所要時間36分と書いてある。
「お、これなら、歩いて帰れるぞ!」
とGPS片手にハイキングコースを徒歩で降りることに。

これが、結構ハードワークな道な上、GPSの道と地図の道がなんかいまいち合わず、迷いに迷って、道を見失ってしまった。

結局、元の道をもどり、朝タクシーがついた所でタクシーを呼んでかえることにした。

これが、引き返す途中に撮った風景。
 ↓
20110212-16.jpg
城から、この山を越えて歩いてました。

ふと見ると、靴は埃でまっちろけ、ズボンの裾もまっちろけで、
「これぢゃあ、お客にいけましぇ〜ん」と、
ほろってもほろっても、きれいにならず、じっと、ズボンを見る。(啄木)
でした。
教訓:城攻めは、スーツで行ってはいけません!

【これまで行った城】
単なる観光で行ったとこ
・五稜郭
・弘前城
・必ず、「あ、お城が燃えている」という奴が居る、会津若松城
・必ず「♪仁義礼智忠信孝悌、いざとなったら玉を出せ」って歌う奴が必ずいる久留里城
・「お前ら、ここを捨てて逃げていくんじゃ」という奴が必ずいる大滝秀治、もとい、大多喜城。
・松本城
・エレベーターが興ざめな大阪城
・外から見ただけの、名古屋城

城攻め気分で行ったとこ
・浦賀城
・新井城
・三崎城
・甲府城
・躑躅ケ崎城
・勝沼氏館跡
・小田原城
・石垣山一夜城
・太田金山城


好きですさっぽろを止めたのは、こんなわけの分からない理由だったんかい!
のコメントへの返事を書きました。
コメントありがとうございました。


posted by すいとこびっち |16:55 | 城攻めぢゃーっ! | コメント(4) | トラックバック(0)

2010年01月16日

娘と出かけた「サバイバル城址探検」

あ、お久しぶりっす。
何とか少しだけ立ち直ってきた今日このごろ。 

成人の日のサバイバルな一日のお話を・・・。 
(長いので「覚悟」してください←今年のテーマだし)

成人の日の月曜日、重要文化財を専攻している娘のレポート作りにつきあって、三浦半島の城趾探索をしてまいりました。
 城趾と言いますと、石垣があって、綺麗に整地されて、天守閣はないけれど、代わりに資料館があるか、公園になっている。
そんなことを思い浮かべてしまいますが、世の中には、
「適当で、いいんじゃね?」
みたいに、かなり粗末に扱われているものもありまして、 これが、思いもよらずハードな城趾探索となったのでありました。

 行ったのは、三崎城、新井城、浦賀城の3城趾。 
浦賀城といいますのは、1560年頃?後北条氏が千葉の里見水軍から三浦を守るために築城したらしいお城だそうで。 

海辺の神社の奥の階段を50mほど上ると、広場があって、
「勝海舟の断食した場所」の碑と
「造船会社?の殉職者の慰霊塔」があるだけ。
「ここが、本丸跡だよ〜ん」みたいな表示は全く無し。
東端の房総半島が見渡せる位置に「浦賀城の説明の縦看板」があるだけ。 
あとは、木が無造作に茂って、草茫々状態・・・なんともあっさりした風景でした。 
普通の人なら、ここで、「ふぅ〜ん、ここにお城があったんだね。さ、戻ろうか」となるところ、どっこい、こっちは、目的が違う。
 なんせ、重要文化財専攻である。
知らない人にとっては、単なるでこぼこが、実は堀の名残だとか、そんなことを実物で確認するのが目的。
 というわけで、下の地図
20100116-00.jpg

にある2つの「堀」を探しに、藪の中に微かに見える獣道を頼りに普通の人は入らない奥地へと探索開始。
エイエイオー(^o^)/ 
ところが、いくらも進まないうちに、崖っぷちで道が途絶えてしまった(◎o◎)。 
なにせ、空から地図を見るように見える訳じゃなし、地図に縮尺が無いので、想像している距離感と実際の距離とのギャップな気付いたの は暫く経ってから。

 「ちょっと、危なくて行けそうもないなあ」と、戸惑う私。 
ところが、娘は、果敢に崖っぷちまで突き進む。
さすが、レポートがかかってるだけあって、アグレッシブである。
普段、私に似て、ボーッとしてるくせに、窮鼠猫を噛むである。
 
崖っぷちから下を覗き込むと、10mほど下にも獣道がある。
あるって、ことは通れる筈である。
 しようがない。ここは、やはり、お父っちゃんが先に行かねばと、意を決して下って見ることにした。
 が、とにかく斜面は急斜面。
藻岩山の兎平の3倍は斜度がある。(それじゃあ、90度超えちゃうか?)
地肌むき出しなので、歩く間もなく、ズリズリ〜っと滑り落ちる。
ところどころに生えたり倒れてる木を足がかりに、ズリズリ〜、停止、ずりずり〜、停止。
け、結構、怖い(・_・;)。 

「これ、降りられるのかなあ?」という、8割方、『もうやめようか?』という気持ちの入った言葉を娘にかけると、
「でも、なんか、崖の下の方に道が続いてるよ。」という、つまり『そこから行けよ!』という、鬼のような言葉が返ってくる。
確かに地図に無い道が崖の右下から伸びて、合流しているのが見える。
 というわけで、ズリズリしては、娘の手をとり、ズリズリしては娘の手をとり、降りていく。
 途中で、娘が一言。
「城跡にきて、こんなサバイバルな体験するとは思わなかったぜい。」
しまった、リポビタンDをもって
「ファイトー!」
「イッパァーッツ!」
とやる絶好のチャンスを逃してしまった。
 なんとか、降りきった。
ほっとしたというよりも、「これ、どうやって帰るんだ?」という不安感が先に立つ。 
で、地図でいうと、その降り立った辺がどうも「堀割り跡」らしい。でも、なんとなく自信がない。
もうひとつ「空堀」ってのがあって、もしかしたら、今いるところが空堀で、堀割り跡というのは見過ごして来たのかも知れない。
それを確認する手はただ、一つ。
更にその先に空堀に相当しそうな堀の跡があるかを確かめることである。 
幸い、空堀跡へは、右方向に伸びている獣道から行けそうなので、そちらへ向かう。
右手へ行くとすぐ下に住宅があって、そこの犬がやたら吼えてうるさい。
(そういや、どこぞの犬も相変わらず吼えてるらしいが)
このご時勢、裏山に怪しい不審者が・・・と通報されないかと不安になる。
こんなことなら「城址調査隊」というゲーフラ持って来れば良かったと、後悔する。 
で、目的付近まで、来てみたが、空堀跡に向かいそうな道が無い。
目の前には、草木に覆われたこんもりした台地が見えるだけ。

ちょっとその中に踏み込む勇気が出ない。
あいかわらず、犬がうるさい。
迷惑な犬だ。 
諦めて、元の深堀りまで戻ってくる。
 でも、折角ココまで来たのだし、 これだけでは、レポートもカッコつくまいと、獣道ではない側から登れそうか調べてみると、なんとかいけそうかも知れない。

娘に待っているように言い残し、今度は、一人で台地を登ってみる。
あいかわらず、犬がうるさい。
全く迷惑な犬だ。
藪に入り込む不安に、犬のせいで、通報されるんじゃないか?という不安が輪をかける。
全く迷惑な犬だ。
子供の頃なら、不安を感じず、どんどん奥まで行ったものなのだろうが、不安感が先に立つ今は、都会に慣れた証なのだろうか?
途中まで行くと、もはや不安感より好奇心が先に立ち、どんどん進むと・・・・。
そこにありました。いかにも、堀りましたって感じの綺麗な通路。
「あったぞ〜!」 
よゐこの「とったど〜!」の気持ちが良くわかった。 
しっかり写真に納めて戻ってきました。
(といっても、うまく感じがわかるように撮れなかったけど)
 ↓
20100116-01.jpg

いやしかし、なかなか楽しい1日でした。

城趾めぐり、病み付きになりそうなくらい面白いです。

 ただ、夏は、虫だの蛇だの出そうで、ちょっと厳しいか?

城址めぐりは、冬に限ります。
でも、サッカーは冬反対!

ちなみに、私達がズリズリした崖の部分を外からみると
この写真の山の真ん中あたりの凹んだところのようです。
 ↓
20100116-02.jpg
(出展は、こちら


つきつけられた現実
のコメントへの返事を書きました。
コメントありがとうございました。


posted by すいとこびっち |18:18 | 城攻めぢゃーっ! | コメント(3) | トラックバック(0)