2007年02月28日

なぜ日本ジャンプ陣は弱くなったか

こうなったらこの機会にもう一発ジャンプ話。

団体銅メダルを取ったばかりだというのに、こんなことを言うのも何だが、やっぱり日本ジャンプ陣は世界のトップとは差があるのは事実。長野オリンピックを頂点とした90年代は世界一を誇っていた日本ジャンプ陣がなぜ弱体化してしまったのか。

直接的原因はルールの改正と言われている。スキーの板の長さの制限が変わり、ヨーロッパの長身選手に比べて身長の低い日本人は短いスキーしか使うことが出来なくなり、それが日本に不利になったと。確かに低迷のきっかけがそのルール改正であったことは確かである。しかし、その後身長170cmに満たないポーランドのアダム・マリシュが世界を席巻し、ルール改正を言い訳にすることはできなくなった。ならばなぜいまだに日本は低迷から脱せないのか。

ここで視点を変える。なぜカルガリーオリンピックで団体最下位という低迷から脱し、90年代に日本は強くなったのか。それはV字ジャンプという技術革命があったからである。V字ジャンプは80年代後半、ボークレブという選手が開発した。当初は飛型点が大幅に減点されていたが、とにかくクラシックスタイル(スキーの板を平行にして飛ぶ飛び方)よりもあきらかに遠くに飛んだのである。当時どん底だった日本は他国に先駆けてV字スタイルを研究、マスターしていった。80年代後半、世界の上位の国は逆にV字の研究習得に後れを取っていた。
V字スタイルが正式に認められ、飛型点で減点されなくなったのは1992年。そこから日本の隆盛が始まる。日本はV字ジャンプの先進国なのであった。

さて、そう考えると1998年の長野五輪と2002年のソルトレーク五輪の違いというのが見えてくる。長野までは「競技人生の中でクラシックスタイルからV字スタイルに変更した選手達の大会」であったのに対してソルトレークは「子供の頃からV字が当たり前の選手が登場する大会」なのである。実際ソルトレーク2冠のシモン・アマンは当時20歳。V字が正式に認められた1992年の時は10歳だ。
この段階まで来てしまったらもうV字先進国という日本のアドバンテージはない。そういう歴史の切り替えのタイミングがスキー板のルール改正と重なってしまったのが現実なのだ。

ルール改正によりそれまで上位だった選手が下位に沈むことはよくあることだ。そして、そのまま浮上出来ずに選手生活を終えてしまう、というケースは別に日本だけのことではない。問題なのは、日本は新ルールに適応出来る新しい人材が登場していない、という点にある。要は選手層の薄さ、競技人口の減少こそが最大の問題点だといえる。

今回の団体銅メダル、そして栃本や伊藤謙司郎といった若い力の台頭が今後の日本ジャンプの競技人口増加のきっかけになってくれればと思っている。

posted by たじ |13:54 | スポーツ | コメント(3) | トラックバック(0)