2006年01月03日
後悔役に立たず
明けましておめでとうございます。少しブログもおやすみして、3日からのスタートです。
後悔役に立たず
学生時代、アルバイト仲間が言った言葉である。もちろん「後悔先に立たず」の言い間違いなのだが、「後悔先に立たず」よりよっぽど良い言葉だと思っている。名言である。
私は、基本的に後悔しないタイプである。私の人生の中でも、なんらかの決断なり進路選択なり、あるいはそんな大それた事ではなくても日々さまざまな判断をしている。しかし、どんなにさまざまな判断があろうとも、その判断が間違いだと思ったとしても、時計を戻してその判断をやり直せるわけではない。そして、間違ったと思う判断をやり直せたらというIFの世界がどうなっているかはわからない。パラレルワールドのもう一方を覗くことはできないのだ。つまり、失敗な判断をしたと思っても、もし違う判断をしたらどうなったか、もっと大きな失敗だったかもしれないのだ。後悔とは見ることのできないIFの世界を空想しているだけで、現実には役に立たない。隣の芝生が青く見えるのと同じだ。もちろん、過去の失敗を反省することは重要である。それはこれから起こりうる判断、選択をよりよくするためである。再現性のない判断を悔いることとは全く異なる。前向きな「反省」は人生に役に立つが後ろ向きな「後悔」は役に立たない。後悔役に立たずなのである。
「将来後悔しないために今**をすべきだ」というタイプの言葉には共感できない。なぜ「**をしなければ後悔する」と決めつけるのか。逆にそれをすることによって「**しなければ良かった」と思うかもしれないのに。これは良い結果を求めるための判断ではない。「やるだけやって失敗したのなら諦めもつく」という自己満足を求める判断である。これはあくまでその人の性格の問題である。「後悔する」タイプの人は結果そのものよりも「後悔しない」ことの方が優先されるので、「後悔しない」選択がその人の正解となる。しかし、私は基本的に自分の人生全肯定してしまうので「**しなかったら後悔するかもしれない」という考え自体がない。だから共感できないのだ。別に自信満々な人生を歩んでいるわけではない。ただ、後戻りできない以上今を受け入れるしかない、仮に後戻りできたとしてもそっちのほうがいいとは限らないと思っているだけである。
こんなことを言えるのは実は今のところ自分が恵まれた人生を歩んでいるからに他ならない。
「人殺しでもしない限り取り返しのつかない失敗なんてない」
これは以前会社勤めをしていた時の自分の言葉である。幸いにも、自らの過ちで人を殺めた事はない。全く幸いなことだ。実に恵まれた人生である。こんな恵まれた人生を過ごしているからこそ後悔は役に立たないなんてことが平気で言えるのである。私は取り返しがつかないほどの大きな失敗をしたことがない。時間を遡ってやり直すことなどできないと解っていながら、そしてやり直した結果が現実と比べて良いかどうかは全く分からないながら、それでもどうしても時計の針を戻したいと思うような強烈な後悔を感じたことはない。全くもって自らの幸運に感謝するばかりである。
整理
・役に立たない「後悔」よりも役に立つ「反省」
・「後悔しないため」の判断は自己満足。後悔自体をしなければいい
・しかし、実は後悔しない人生というのは幸運である
新春早々やたらと重い話になってしまった気がするが、最後に言おう。
コンサドーレを応援するようになったことに後悔はない。脱サラしてサポートシップスポンサーになったことに後悔はない。たとえそれがどんな未来になろうとも。
posted by たじ |02:25 | その他 | コメント(5) | トラックバック(0)
