2006年01月17日
原因と責任
なにごとによらず、結果が出た場合、特にそれが悪い結果だった場合「責任は誰にあるか」という問題になる。本日、証人喚問が行われているが耐震偽装問題の責任は誰にあるのか。いまだ問題の全容が解明されていないので現段階では明快に回答できないことが多いが、一方で明らかなこともある。耐震偽装された欠陥マンションを買ってしまった顧客に対する瑕疵担保責任は売主(ヒューザー)にある。これは法的に確定している。ヒューザーがいかに国交省、確認検査機関を批判しようと、その事実は変わらない。責任と原因を混同してはならない。原因が何であれ、責任は責任を持つべき立場、責任者が負う。もちろん耐震偽装問題はさまざまな要素が複雑に絡んでいるのであって、誰か一人が責任を負うということはない。各々の立場で持つべき責任があり、原因を究明することによって、その責任を明確にしていかなければならない。要は責任が誰にあるかと問うならば、それは責任者にある。単純明快。責任と原因を混同すると、結局「みんな悪い、みんな責任がある」みたいになって結局責任が不明確になってしまう。連帯責任に陥ってしまう可能性もある。
チームが降格したり、最下位になったり、赤字になったりすると必ず「責任は誰にあるか」という話になる。これは難しい話ではない。降格とか順位とかの責任は監督にある。監督の仕事とは極言すれば「結果に責任を持つこと」に集約される。戦術だとか、トレーニング、選手起用、采配その他諸々は「結果に責任を持つ」ための「手段」にすぎない。よって一昨年の最下位も、昨年の6位も全て柳下監督の責任である。ならば選手には責任はないのか。いや、もちろん選手にも責任はある。それはその選手が自ら行ったプレー全てに対して。例えば決勝点となる得点を奪われる原因となる決定的なミスをしたDFがいたとする。もちろんそのプレーの責任はその選手が問われる。しかし、それが直接の敗因であろうと、敗戦という結果そのものの責任はその選手にはない。もっと点取っていれば勝てたということにもなるだろうし、ミスをする選手を起用したのも監督なのだから。
原因と責任を混同すると批判も的外れなものとなってしまうので、きちんと見極めたいものである。
posted by たじ |12:44 | その他 | コメント(0) |
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